平成一一年(ワ)第三六三八号 損害賠償請求事件

            原 告   佐  木  理  人
            被 告   大阪市          

       準 備 書 面(第一回)

   一九九九年一一月一九日

          原告訴訟代理人
            弁護士   竹下義樹

            同     岸本達司

            同     神谷誠人

            弁護士   坂本 団

            同     下川和男

            同     高木吉朗

            同     山之内桂

            同     伊藤明子


大阪地方裁判所          
   第一七民事部合議イ係              御 中

第一 視覚障害者と駅ホームの安全性
一 視覚障害者が公共交通機関を単独で利用することの意義と重要性
1 移動する自由は、個人の社会活動や経済活動を始めとする自己実現にとって必要不可欠な重要な権利であり、憲法一三条(個人の尊厳)及び二二条一項(移転の自由)により、何人に対しても保障されている。ここには、視覚障害者を始めとする障害者が交通機関を利用したり、歩行することにより、移動する自由も当然含まれると解される。
  もっとも、視覚障害者を始めとする障害者の場合、移動の自由を実質的に保障するためには、単独でも、安全に歩行し、公共交通機関等を利用できるように、道路や施設等が整備される必要があるから、国や地方公共団体等に対して、移動の自由を実質的に確保するように求める権利があると解すべきである。 反面、国や地方公共団体は、そのために積極的に諸施策を実施する責務を負う。
  右のような障害者の権利は、憲法二五条より保障されていると解され、これを具体化したのが障害者福祉法等である。
  障害者福祉法には、「すべて障害者は、個人の尊厳が重んぜられ、その尊厳にふさわしい処遇を保障される権利を有するものとする。」(三条)という基本理念の下、「国及び地方公共団体は、障害者の福祉を増進し、及び障害を予防する責務を有する。」(四条)、「国及び地方公共団体は、自ら設置する官公庁施設、交通施設その他の公共的施設を障害者が円滑に利用できるようにするため、当該公共的施設の構造、設備の整備等について配慮しなければならない。」(二二条の二第一項)と定め、国及び地方公共団体の責務を明確に規定している。
  本件の被告も、交通施設を設置する地方公共団体として、右規定に基づく責務を負うものである。
2 視覚障害者は、道路の通行につき、杖または盲導犬の携行が義務付けられている(道路交通法一四条一項)。他方、車両等の運転者に対しては、視覚障害者が杖または盲導犬を携行しているときは、一時停止し、または徐行して、その通行または歩行を妨げないようにする義務を負っている(同法七一条二号)。 
  このように、視覚障害者が道路を単独で歩行することを前提として、その安全を確保するための規定が設けられているのである。
3 視覚障害者の活動範囲を拡大し、社会参加の機会を促進するためには、単に単独で歩行できるだけではなく、単独で安全かつ確実に公共交通機関を利用できることが必要不可欠である。
  いわゆる高田馬場事件判決(東京地判昭和五四年三月二七日判例時報九一九号七七頁)においても、視覚障害者が外出する際「介護者が附添えば危険はないが、常にそれを期待することは困難で、またそれを期待していては盲人の社会的自立が図られない」として視覚障害者の単独歩行の必要性をその自立のための当然の前提としている。
  また、いわゆる大阪環状線福島駅事件の控訴審判決(大阪高判昭和五八年六月二九日判例時報一〇九四号三七頁)においても、「現在における発達した公共交通機関の現状にかんがみると、視力障害者が晴眼者とともに自由な社会生活を営むためには公共交通機関を安全かつ容易に利用できることがその前提となる」として視覚障害者の公共交通機関利用の意義を判示している。

二 視覚障害者の歩行の特性
 本項では、本件の正しい理解のために、視覚障害者の歩行特性について概観する。
1 視覚障害者は、単独移動時に主として白杖による触覚情報と聴覚情報を統合して環境を認知しながら行動するのが一般的であるが、視覚障害者の中で歩行訓練を受けている者は少なく、「視覚障害者の鉄道利用における支援システムの人的要素」(「国立身体障害者リハビリテーションセンター研究紀要第一二号」平成三年・甲六)によれば、歩行訓練士から一般的な歩行訓練を受けた経験のある視覚障害者は六四・六パーセントにすぎない(同書三八頁)。すなわち、白杖を持っていても操作方法は自己流の場合が多いのが現状なのである。
 そして、視覚障害者の単独歩行時には、以下のような様々な要因が影響を及ぼすため、晴眼者とは異なる歩行特性がみられる。
2 まず、音源定位(音の発生源から、自らの位置を知る方法)は、視覚障害者が、自ら置かれた環境を認知するための有効な方法の一つであるが、これによって音源の方向に関してはかなり正確な判断ができるものの、音源の上下や音源までの距離の弁別までは正確にできないことが知られている。
 次に、エコー定位(建物や塀などに当たって反射してくる音を利用して、それらの存在を知る方法)も視覚障害者が環境を認知するために重要な役割を果たすが、これはかなり高度な技術であり、利用できる視覚障害者は限られるうえ、道路横断や島式プラットホーム上での移動のように、明確な方向の手がかりが得られない場合も起こりうる。
 そして、右のような場合には、視覚障害者固有の偏軌傾向のため、真直ぐ歩くのはきわめて困難である。偏軌傾向とは、白杖の振り具合、足や顔の向き、歩速などが原因で、歩行中に本人の意思とは関係なく、進行方向からそれてしまうことをいい、視覚障害者の歩行の傾向として極めてよく知られた特徴である。
 また、視覚障害者は単独歩行中、過大な心理的ストレスを被っており、特に道路横断のように時間的に処理すべき情報の密度が高い事態のときには、他に注意をはらう余裕がない。すなわち、単独歩行中の視覚障害者は、不確定性の高い聴覚と触覚情報を連続的にモニタし、自己の行動に必要な手がかりを選択すると同時に、行動経過に応じて、頭のなかの地図における自己の位置を更新していく必要があり、このような状況下で処理すべき情報が時間的に集中すると、容易にオーバーロードの状態(情報過多のいためわばパニック状態となる)が発生するのである。
 さらには、聴覚は基本的に時間情報を扱うため、すでに提示されてしまった情報を再度能動的に確認することはできず、また聴覚情報は視覚情報に比してそのカテゴリーが狭いため、いったん間違った判断をすると、容易にこれを修正することができない。したがって、このような聴覚情報の特性から、視覚障害者が歩行中に間違った判断に陥ることは容易に想像でき、またいったん間違った判断をすると、そこから脱出することはかなり困難であると考えられている(「視覚障害者の歩行特性と駅プラットホームからの転落事故」・人間工学・一九九五年Vol三一・h黶E二頁・甲七)。
3 以上のように、視覚障害者の歩行については、そもそも偏軌傾向があるうえ、音源定位、エコー定位などの聴覚情報を利用しても正確な判断がなしえない場合が多く、また聴覚情報に基づく意思決定の特性から、一度方向を失うと、それを独力で取り戻すのは極めて難しいという特性がみられる。
 そして、方向を失った視覚障害者は、想像以上に過大な心理的ストレスを負っており、なんとか方向を取り戻そうとするのが通常であるから、冷静にその場で停止することを求めるのは、不可能を強いることに他ならない。

三 視覚障害者が鉄道を単独利用する困難性
 視覚障害者の鉄道単独利用の困難性については、「視覚障害者による鉄道単独利用の困難な実態」(「障害者の福祉増刊リハビリテーション研究nオ〇」一九九二年・甲八)により、概ね次のような実態が明らかにされている。
1 右研究によれば、視覚障害者が鉄道利用時に著しく困難を覚える点として、乗車券の購入、ホームへの移動、ホーム上での移動が上位三点として挙げられており、「いずれにしろ鉄道利用の全般にわたって困難がある」と指摘されている。
2 また、プラットホーム上では、利用番線の判別、ホーム上での階段検出、ホーム上の移動などの点で利用上の困難が訴えられている他、柱・階段などの構造物、混雑時の人の流れ、ホーム縁端部などの点で特に危険を感じることが明らかにされている。
 プラットホーム上での移動や乗車は、単純な錯覚や混乱が危険な事故に結びつく可能性のある部分であり、特に、柱・階段などの構造物を含む障害物を回避しながらプラットホーム上を移動する際には、単純な方向誤認がホーム転落などと直結するため、高度の緊張を強いられ、非常に困難かつ危険な場所であると考えられているのである(同書三四、三五頁)。
3 右のように、視覚障害者が鉄道利用時に困難に陥った場合には、駅員や一般利用者に案内や介助の依頼を行うことが有用である。
 しかし、現実には、援助を依頼できる駅員や利用者がその場にいない場合もあるし、仮に、駅員等がいたとしても援助依頼する際、相当数の視覚障害者が相手に迷惑をかける、気後れするまたは恥ずかしいと感ずる等の意識を持っており、しかも、たまたま居合わせた利用者に尋ねる場合は、確実性に欠けるやり方である。そして、前記「視覚障害者の鉄道利用における支援システムの人的要素」(甲六・三九、四〇頁)によれば、歩行訓練士のうち九四パーセントは、一般的に鉄道側の人による誘導、介助サービスは不十分、あるいは極めて悪い状態と認識しており、現在の対応には改善の余地があると考えていると報告されている。
 このように、視覚障害者が鉄道を利用する際、駅員ないし一般利用者に援助依頼を求めるのは極めて困難であるのが現状であり、その結果、右研究によれば、視覚障害者が鉄道利用時に構内で方角を見失ったり乗車番線が判らなくなった時に、どのくらい案内、誘導を依頼しているのかについては、七〇パーセント以上の者が最小限にとどめると答えているのが現状である。
4 以上のとおり、視覚障害者は、鉄道を利用するあらゆる過程において、大きな困難を抱えており、とりわけプラットホームは、視覚障害者の間で、「欄干のない橋」「柵のない高層ビルの屋上」とまで称されているのであって、視覚障害者にとって極めて危険な場所であるといわざるを得ないのが実態である。
 そして、このように視覚障害者にとってプラットホームが危険きわまりない場所であることは、従来から判例や各種論文等によっても繰り返し指摘されてきたところである。

四 視覚障害者の駅ホームからの転落事故の多発とその原因
1 視覚障害者の転落事故経験
 視覚障害者が駅のプラットホームから転落した事故のうち公刊された裁判例には、一九七三年二月一日発生の山手線高田馬場駅事件、同年八月一七日発生の大阪環状線福島駅事件があるが、裁判に持ち込まれる事故は氷山の一角であり、視覚障害者の駅ホームからの転落事故は数限りなく発生しているのが実情である。
 たとえば、「視覚障害者による鉄道単独利用の困難な実態」(「障害者の福祉増刊リハビリテーション研究nオ〇」 一九九二年・甲八)に紹介されている調査によれば、視覚障害者一〇九名の鉄道利用者のうち二五名がプラットホームから軌道上へ転落した経験を持ち、転落延べ回数は四五回に上ったという(同書三五頁)。
 その他視覚障害者の駅ホームからの転落実態に関するいくつかの調査があり、それらによると、視覚障害者の半数ないし四分の一程度の者に転落経験者があり、しかも複数回の転落経験者も珍しくないことが伺われる(「視覚障害者の鉄道駅ホームからの転落事故と対策」・視覚障害リハビリテーション第三七号・四〇頁・甲九)、「プラットホームからの転落事故に対する安全対策」(前掲書・四九頁・甲九)、「盲人単独歩行者のプラットホームからの転落事故」障害者の福祉・一九八五年一月号・甲一〇ほか)。
 障害者や高齢者が社会参加できる街づくりの提言を行っている「福祉ウオッチングの会」(事務局・東京都新宿区)は、視覚障害者の駅ホームからの転落死亡負傷事故一八件を独自に検証し、報告書としてまとめた(「視覚障害者のホーム転落事故調査」一九九六年・甲一一、本件事故も二八頁に原因等が分析されている)。その調査報告書の冒頭には「ホームからの転落は四度や五度は当たり前であり、それで視覚障害者は一人前になる」という視覚障害者の言葉が紹介されている。
 この度、被告から原告に開示された資料によると、大阪市営地下鉄における視覚障害者の軌道転落事故は、平成元年から平成一一年までで、三三件も発生していたことも判明した。
 前述したとおり、駅のプラットホームは視覚障害者にとって「欄干のない橋」「柵のない高層ビルの屋上」などと評されているが、仮に晴眼者にとって「橋からの転落は四度や五度は当たり前であり、それで歩行者は一人前になる」という常態であったとしたら、そのような事態を放置しておかないであろう。しかし、視覚障害者は、プラットホームという「欄干のない橋」の上を生命を賭けて歩行させられ、転落の不注意を責められるという立場に依然として立たされ続けている。視覚障害者は全身体感覚を駆使して全力を尽くして歩行しているのだから、さらに高度な注意を払うべき余裕はなく、晴眼者から見て事後的に不注意を責めるのは、視覚障害者に無理を要求するものである。
2 原因調査の実例
 論文「視覚障害者の歩行特性と駅プラットホームからの転落事故」(人間工学・一九九五年Vol三一h黶E甲七)は、転落事故百十数例のなかから代表的な四事例を紹介している。
 また、前記福祉ウォッチングの会の調査によれば、一九九三年〜一九九六年八月までの間に、視覚障害者の転落事故が一一件あり、三人が死亡したとのことである。
 以下、右文献から年代順に八つの実例を紹介し、視覚障害者が鉄道利用の上で、どのような困難と危険を抱えており、それがどのような形で具体的な事故につながっているかを示す。

事例一 阪和線堺市駅事件(一九八六年一一月発生)甲七・五頁
【事故内容】
 相対式ホームにいた全盲の一九歳の女子学生が、反対線に入線した電車の音を聞いて、当ホームに電車が到着したものと誤認し、まっすぐ線路に向かって歩行して軌道上に転落した。そこへ当ホームへの到着電車が来てはねられ、数日後に死亡した。
【原因分析】
 視覚障害者にとって、電車の到着は音で判断するしかないが、上下線がほぼ同時に入線し、案内放送が誤認を誘発するようなタイミングであったため、不可避的に勘違いが生じた。聴覚は音源までの距離判断の信頼性に乏しく、音源の移動に対しても比較的鈍感である。
 視覚の補助とともに音源を感知できる晴眼者は音を頼りにしても右のような誤解は生じ得ない。晴眼者は、見えないなら音を頼りにすればよいと思うかもしれないが、晴眼者が考えているほどに、聴覚情報が頼りにならないことを本事故例は示している。

事例二 井の頭線吉祥寺駅事件(一九八八年一一月発生)甲七・三 
    頁
【事故内容】
 点字ブロックがホーム縁端部分に敷設された櫛形プラットホームにおいて、下車後改札口方向へ歩行中の男性(四六歳 両眼光覚 歩行訓練なし 白杖携帯)が、改札のハサミの音を感知してこれを目標として歩行していったところ、ホーム端の柵のない部分と停車車両先頭との間の隙間から転落した。
【原因分析】
 本件も聴覚定位の方法が頼りにならないことを示す事例である。
 被害者は、他の乗降客の動向を皮膚感覚で察知しつつ、ハサミの音に聞き耳を立てている状態で歩行を続けていた。駅構内は複雑な音響効果をもつので、音の手がかりはさほど当てにならないが、視覚情報を取得できない障害者は、わずかの音の手がかりに頼らざるをえない。そのような状態では、白杖を携帯していても、ホーム縁端の検出に注意を振り向ける余裕自体がほとんどなく、非常に誤認を誘発し易い。
 事例一および同二は、視覚が不十分であるという事実を直視して、視覚障害者のためにより確実な誘導手段と転落防止手段を講じる必要を示唆している。

事例三 山手線品川駅事件(一九八九年一月発生)甲七・四頁
【事故内容】
 点字ブロックの敷設されている島式プラットホームで、男子大学生(幼児のころから全盲)が転落した事故。この駅は被害者の通学経路にある乗換駅であり、よく利用していたが、この日はたまたま普段乗っている先頭車両ではなく、三両目から降車してホーム上を歩行していた。電車入線のアナウンスがあったので、ホーム内側へ寄ったところ、エコー定位により柱があることに気づいてとっさに反対側に避けたため、軌道上に転落した。
【原因分析】
 この被害者は長年の歩行経験から高度なエコー定位能力を身に付けていたため、前方の柱を感知してとっさに避けようとして線路側に寄り過ぎてしまった。電車が後方から接近しているという緊張した条件下で、ホーム端までどのくらいの距離があるかを即座に認知できない視覚障害者に適切な回避行動をせよと命ずるのは無理がある。
 本件事故現場は、点字ブロックと柱との間が急に狭くなっており、ホーム端に安全な幅が確保されていないという環境的要因があった。
 本事例は、視覚障害者にいかに高度な技術があっても、駅の設備自体に危険性が内在していれば、事故発生が避けられないことを示す一例である。

事例四 JR東小金井駅事件(一九九三年発生)甲一一・四八頁
【事故内容】
 駅員に教えられて、ホーム端にあるトイレへ行こうとして行き過ぎてしまい、ホーム終端の屈曲した点字ブロックを踏み越えて点字ブロックが切れた先へ立入り、ホーム終端部分の柵とホーム縁端の隙間(六〇センチメートル)から転落した。
【原因分析】
 点字ブロックの屈曲を踏み越えたため、終端近くに向かっていることを認識しないまま直進してしまった。さらに、このホーム端のトイレに行く途中で、縁端部の警告ブロックは途切れており、なおかつホーム先端部には転落防止柵がなかった。
 まずもって、警告ブロックは危険な縁端部の警告を意味するものであって、終端部に至るまで点字ブロックの敷設を途切れさせてはならない。また、本件事故現場は地上駅の島式プラットホームの出入り口のない縁端部であることから、何人も立ち入れないような柵を設けておくべきであり、六〇センチメートルもの間隙を作っていたこと自体に駅設備の重大な瑕疵があった。
 適切な点字ブロックの敷設と転落防止柵の設置がなされていれば、被害を防げた事案であり、本件訴訟の事例と状況が極めて類似している。

事例五 近鉄中川原駅事件(一九九四年一二月発生)甲一一・六頁
【事故内容】
 三重県四日市市の近鉄中川原駅相対式プラットホームで、降車した直後の女性(五一歳全盲)が、発車した電車に巻き込まれて死亡した。
【原因分析】
 ホーム端のスロープ化工事により従来は高さが約一二五センチメートルあったホーム端の柵が一部埋め込まれてしまい、最低部分の高さが約三七センチメートルしかない状態になっていた。また、点字警告ブロックはこの柵に行き着く手前で途切れて方向を変えて敷設されていた。
 この事故の新聞記事では、警察発表などから「(被害女性が)勘違いして線路側に寄った」ことが原因とされたが、実際には駅ホームの構造に次の通り明らかな欠陥があった。
 すなわち、この女性はホーム縁端の警告ブロックに沿って歩いていたが、警告ブロックは前記柵に至る途中で突然途切れており、女性は続きの警告または誘導ブロックを探しているうちに、柵の低いスロープ部分に入り込み、電車と接触して巻き込まれたのである。
 もし、点字ブロックがホーム端に沿って柵に至るまで敷設され、かつ、通常の高さの柵が設置されて線路側に回りこめないようになっていれば、この事故は起きなかったものであり、本件訴訟の事例と状況が極めて類似している。
 さらに、本事例では、警察の捜査や当初新聞報道では視覚障害者に責任が転嫁されており、晴眼者には問題の所在が見えにくく、安易に視覚障害者の責任にされてしまうことを示している。

事例六 大阪市営地下鉄中央線深江橋駅事件(一九九五年一月発生) 
   甲一一・一六頁
【事故内容】
 全盲の会社員が相対式ホームを縁端に沿って歩行中転落し、じん帯切断の負傷。
【原因分析】
 本件では、駅員に改札口まで遠い車両への乗車を指示されたため、ホーム上を長軸方向へ長く歩かなければならなかった。駅員の知識不足も事故の一因となっている。
 また、大阪市営地下鉄に多く使われている感知しにくい材質形状の点字ブロックも逸脱の一因である。
 福祉ウォッチングの会によれば、大阪市営地下鉄の点字ブロックの感知が難しい原因として、次の点があげられている。
@ 点字ブロックの材質が柔らかく、突起が沈み込んでしまう。
A 点字ブロックの形状につき、突起の数が多くて間隔が狭く、しかも半球と平点の混合になっている。
B 床面が凹凸のあるタイル張りになっているため、点字ブロックの突起とまぎらわしい。
C 警告ブロックから縁端部までの距離が運輸省ガイドライン(八〇センチメートル以上)よりも狭い七五センチメートルとなっている。
D 縁端部分の滑り止めラバーが点字ブロックの突起検出を難 しくしている。

事例七 大阪市営地下鉄谷町線天王寺駅事件(一九九五年六月発生)  
   甲一一・二〇頁
【事故内容】
 耳と目の不自由な六一歳の男性(全盲 白杖携帯)がホーム縁端に沿って歩行中、ホーム縁端と平行に敷設されていた点字ブロックがホーム終端部付近でホーム内側に向かって屈曲し、その先の点字ブロックが敷設されていないホーム縁端部に立入り、縁端部を白杖で感知しようとして線路側に転落し、入線した電車に轢かれて死亡した。
【原因分析】
 この事故においても、前記深江橋駅事件と同様、点字ブロックが感知しにくいという問題があった。また、前記中河原駅事件と同様に、ホーム縁端に沿って点字ブロックが連続して敷設されていなかった点も事故の原因になっている。本件事故現場では、警告ブロックと縁端部との距離が、前記深江橋駅よりさらに狭くて約六二センチメートルしかなく、警告ブロックが途切れた先は、ホーム終端であったが、転落防止柵は設置されていなかった。
 なお、本件事故後、事故現場には、警告ブロックの延長と転落防止柵の設置がなされている。被害者の耳が不自由であったという点を除いて、本件訴訟と本事例とは状況が酷似している。この事例では、事故後直ちに設備の改善がなされたにもかかわらず、まったく同様の状況で発生した本件訴訟における事故現場はいまだに柵が設置されていない。

事例八 大阪市営地下鉄中央線森之宮駅事件(一九九五年七月発生)
  甲一一・二四頁
【事故内容】
 弱視の学生が、島式ホームを相対式と思い、反対線に待機中の電車にそって歩行中、電車の先頭部分を過ぎたところで、その線路上に転落した。
【原因分析】
 本件の問題は、第一次的には、ホームの形状が変則的であったために、被害者が勘違いをした点にあるといえるが、電車が停車しない部分まで柵が延長されていたら、事故の生じる危険はなかった事案である。

五 駅ホームの安全対策のあり方
1 視覚障害者にとっての駅ホームの特性と鉄道事業者の責務
 人にはすべからく移動(歩行)の自由と権利があり、視覚障害者も例外ではない。とりわけ公共交通の主役である鉄道事業者においては、より制約を受けやすい障害者の移動(歩行)の自由と権利の実質的保証のために安全対策を充実させるべき責務を有する。
 点字ブロックは視覚障害者の単独歩行を想定して敷設されたものであるから、点字ブロックを敷設した鉄道事業者は、視覚障害者の単独歩行が安全に行われるように点字ブロックの敷設方法やその他の設備について、介護者なしでの歩行を想定して配慮すべき責務を有している。
 前記の多くの事故例が示すとおり、視覚障害者が全身全霊を傾けて歩行に集中しても、環境条件と設備の不備が重複して事故が発生するのである。利用者の安全に配慮すべき義務を負うき鉄道事業者としては、安易に利用者に責任を転嫁することなく、万全な安全対策をとらなければならない。
 ところで、晴眼者にしてみれば周りを見回せば自分の位置が安全か危険かは即座に判断しうるのであるが、視覚障害者は白杖なり、身体なりを動かして触覚を使うか、不確かな聴覚を駆使するかして危険を感知しなければならない。そのため、晴眼者ならば、単なる歩行で自分の位置や方向を誤認することはまずありえないが、視覚障害者は、あたかもエアポケットに落ち込んだかのように、予期せずして危険状態に放り出されてしまう。晴眼者の考えでは、危ないと感じたらその場でじっとしていればいいというかもしれないが、危険状態に身がすくむような思いをしているときに、なおかつその場所にとどまれという要求をすることは、視覚障害者にとって死との対面を命令されているようなものである。
 したがって、公共交通の主役を担う地下鉄駅においては、一般市民あるいは障害者全般向けに利便性を高める必要もさることながら、安全が第一番目に確保されなければならない。とりわけ視覚障害者は、従来幾多の転落事故の危険にさらされてきたという事実があるのだから、特に視覚障害者の転落する可能性のある部分は可能な限り防護するのが当然である。
 しかるに、本件事故後に、原告が再三要望したにも関わらず、被告は事故現場への転落防止柵の設置を拒否し、最低限のセーフティネットすら設けないという極めて不当な態度に出ている。
2 「施設整備ガイドライン」の制定
  運輸省は、高齢者や障害者の安全及び身体的負担に配慮するため、交通事業者等が公共交通ターミナルの施設を整備し、かつ、行政が交通事業者等を指導する指針として、平成六年三月、「公共交通ターミナルにおける高齢者・障害者等のための施設整備ガイドライン」(以下「施設整備ガイドライン」という)・甲一二)を策定した。
  被告を始めとする交通事業者は、施設整備ガイドラインに沿った施設の整備が求められているから、右ガイドラインは、地下鉄の駅ホームの設備等が視覚障害者の安全に配慮されているか否かを判断するに当って、重要な基準になるというべきである。
3 駅ホームの安全対策
(一)安全対策の意義
 従来、安全対策としては、点字ブロックや転落防止柵、音声案内などの手法が行われている。前述のとおり、視覚障害者の歩行における情報処理は極めて困難な作業であるという見地から、万一視覚障害者が位置や方向を誤認・誤解してしまった場合でも、次のセーフティネットがその誤認・誤解を解消してくれるという二重・三重の保護対策が必須である。そのため、単に点字ブロックを敷設するとか、点字標識をつけるとかいう単発的な部分的対策では到底不十分であり、相互に連携した安全対策によって誤認・誤解による危険から対象者を防護できるような仕組みになっていなければならない。そもそもあらゆる安全対策にあって人間の不可避的な誤認・誤解の救済という仕組み作りがその基本になければならないことは、いまさら言うまでもないことではあるが、ここで念のため安全対策の基本原理として喚起しておく。
(二)点字ブロック
 点字ブロックには警告と誘導の二種類があり、駅ホームにおいて縁端部に敷設されるのは警告ブロックである。この警告ブロックは、危険個所をアナウンスする意味があり、施設整備ガイドライン(甲一二・六五頁)によれば、ホーム縁端部から八〇センチメートル以上の位置に縁端部と平行に連続して敷設するように指示されている。これは、ホーム縁端部という危険個所をアナウンスするという目的にかなった敷設方法である。
 したがって、警告ブロックが敷設されていないホーム縁端部に立ち入った視覚障害者は、そこが危険な場所であると認識する手掛りを得られないことになる。その結果、視覚障害者は、危険な場所であるという認識を持たないまま通常の歩行を続けてしまったり、新たな手掛りを探そうとして期せずして危険な方法へ近づいてしまったりする恐れが非常に大きい。
(三)ホーム終端の転落防止柵
 施設整備ガイドライン(甲一二・六五頁)によれば、「プラットホームは縁端部の危険表示として、警告ブロックを縁端から八〇センチメートル以上の位置に、幅三〇センチメートルまたは四〇センチメートルで連続して設置することが望ましい」とされ、ホーム終端部では、点字ブロックを内側に屈曲させて、ホーム終端であることを警告するように指示されている(甲一二・五三頁図面)。
 しかしながら、成人男性の歩幅は平均六〇センチメートル程度あるとされており、屈曲部分が点字ブロック一枚分の幅(三〇または四〇センチメートル)しかなければ、これを乗り越えてしまうことは十分にあり得る。現に前記事例四や本件事故では、屈曲部分を乗り越えてしまって、終端部から転落している。
 そこで、施設整備ガイドライン(甲一二・五三頁図面)によれば、屈曲部分からホーム終端部を囲うように柵を設けるよう指示されている。これは、点字ブロックの屈曲という第一の安全対策が機能しなかった場合にも第二の安全対策が視覚障害者を救済するという発想によるものである。
 そもそも、点字ブロックの敷設方法につき、視覚障害者にとって感知しにくい屈曲があったり、触感のまぎらわしい路面であったりして、いったん点字ブロックを感知できない状態になると、気の焦りなどから、容易に誤認・誤解を誘発してしまうことがある。
 前記のとおり、点字ブロックが敷設された駅でも転落事故が相次いでおり、単に点字ブロックを並べておくだけでは転落事故防止策としてきわめて不十分であるばかりか、その敷設方法等によっては、かえって危険を誘発する場合もあるのである。
(四) 駅員の配置
 プラットホームごとに、乗降客の安全を監視し、視覚障害者の案内等をする駅員を常時配置するのが、安全上最も望ましいことはいうまでもない。このように駅員が配置されておれば、視覚障害者を案内したり、危険な方向に歩行している視覚障害者を発見して、ホームからの転落や電車との接触を事前に防止する措置をとることが可能になるからである。
 特に、本件駅のように多数の乗降客があり、視覚障害者の利用者数も多い駅においては、常時駅員を配置すべきである。 

六 駅ホームの法規制−普通鉄道構造規則について
1 被告は、本件事故現場に柵を設置しない理由として、改正前の普通鉄道構造規則第三三条八項を参考として、前方停止線より約五メートルは転落防止柵を設けないようにしていると主張している。     
  しかし、大阪市営地下鉄は軌道法上の営業免許に基づく事業者であるから、鉄道営業法の下位法規である普通鉄道構造規則は直接には適用されないことをまずもって指摘しておく。
  したがって、被告の主張はあくまでも「自主基準」に過ぎないのに、あたかも法令の定めに準拠しているような誤った印象を生じさせている点でも不当である。
2 しかも、右規則は、平成五年運輸省令第八号により、次のとおり改正されている。
  「プラットホームの有効長は、当該プラットホームに発着する列車の最も前方にある旅客車(車掌が旅客車以外の車両に乗務する場合は、当該車両を含む。以下この条において同じ。)から最も後方にある旅客車までの長さのうち最長のものの長さ以上であってて、かつ、旅客の安全及び円滑な乗降に支障を及ぼすおそれのないものでなければならない。」
  右改正の趣旨は、車両の性能向上等により一律に五メートルの余裕を設けることを要求する意味がなくなったという点にあると解されているから、少なくとも右改正後においては、五メートルという距離に意味はなくなったから、被告の主張は、完全に根拠を失ったことになる。
2 被告は、長年にわたる視覚障害者団体からのホームへの転落防止柵の設置の要求に対して、一貫して右の五メートルの数値に固執し続け、転落防止柵の設置を拒否する理由にしてきたと聞き及んでいるが、精度の高いブレーキ装置が複数で作動する地下鉄車両が登場した現在でもなお、十数年前と同じ説明しかできないということ自体、その説明の不合理さを端的に物語っている。
3 また、被告は多くの停止線超過事例がある旨述べるが、列車の発着回数に対する割合としては微々たるものであろうし、大幅に停止線を超過した場合は、電車を後退すれば足りるのであって、アナウンス等により乗客に注意を促すなどすれば、危険が生じるとは考え難く、五メートルもの間隔を確保しなければならないとの主張は説得力を欠くといわねばならない。
  結局のところ、被告の主張は、原告を含む視覚障害者の「生命・身体の安全」よりも、運転士がミスをした場合に備えてのわずかな「円滑な乗降」を優先するものであって、不当以外の何ものでもない。
4 被告も自認しているところであるが、原告及びその支援者らによる調査結果(甲一三)によっても、地下鉄の多くの駅で駅設備に関する被告らの自主基準なるものが遵守されていないことが明らかになっている(詳細は後述する)。
  もしも、被告が主張する自主基準により達成される「旅客の安全及び円滑な乗降」がそれほどまでに重大な利益であるならば、全駅について理由の如何を問わず、徹底して自主基準を遵守すべきであろう。被告自身が例外を認めていること自体、右基準を守ることがさして重要なことではないことを端的に示しており、視覚障害者の生命・身体に優先するようなものでないことを示している。
  右の程度の自主基準を口実にして、最低限のセイフティーネットさえ設けようとしない被告の態度は、安全性に対する配慮を根本的に欠くものと評するほかない。

七 大阪市営地下鉄の駅ホームの危険な現状
 原告及びその支援者らは、平成一一年八月二一日及び二二日の二日間にわたり、大阪市営地下鉄の全駅全ホームの現状を調査したが、その結果、施設整備ガイドラインに反するなど、視覚障害者の安全確保上、極めて深刻な問題点が多数明らかとなった(甲一三)。
 施設整備ガイドラインは、地下鉄の駅ホームの設備等が視覚障害者の安全に十分配慮されているかどうかを判断する重要な基準になるというべきであるから、以下においては、施設整備ガイドラインの記載を参考にしつつ、地下鉄駅ホームの調査結果を検討する。
1 点字ブロックは三〇センチ角であるのに、ホーム終端付近の屈曲部分に二重に敷設されていない。
 施設整備ガイドラインによると、三〇センチ角の点字ブロックの分岐部分や屈曲部分は、二重に警告ブロックを敷設するようにと記載されているから(甲一二・六六頁)、本件駅ホームを含む大阪市営地下鉄の駅ホームは、右ガイドラインを守っていないことになる。
 点字ブロックの屈曲は、そこがホームの終端付近であることを示すものである。ところが、点字ブロックはわずかに三〇センチ四方の大きさであるから、成人男性の歩幅が平均六〇センチメートル程度あることを考えると、白杖でたたいたり、点字ブロックを踏んで歩行する視覚障害者にとっては容易に踏み越えてしまう幅でしかない。右のように踏み越えることを防止するには、二重に点字ブロックを敷設しておくことが必要である。
 よって、右の点において、本件駅を含む地下鉄の点字ブロックの敷設方法は、安全性を欠いているものというほかない。
2 点字(警告)ブロックが、ホーム縁端部から八〇センチメートル以上離れていない。
 施設整備ガイドラインによると、警告ブロックをホーム縁端部から八〇センチメートル以上の位置に設置することになっている(甲一二・六五〜六六頁)。警告ブロックが、ホーム縁端部から八〇センチメートル未満の位置に設置されている場合は、視覚障害者は、より線路側に近い位置を歩行することになるから、何らかの原因により転落等の事故が発生する危険性が高まることはいうまでもない。
 ところが、実際には、大阪市営地下鉄各駅において、ホーム縁端部の点字(警告)ブロックの設置位置はまちまちであり、八〇センチメートル未満の駅が多数存在している。
 前記調査結果(甲一三)によると、二二六番線中(島式ホームでは一つのホームに二つの番線があることになるから、以下においてはホームではなく、番線を単位として説明する)、実に一五九番線、七〇.五パーセントが、八〇センチメートル未満という結果であった。
 谷町線天王寺駅が六二センチメートルと最も短く、乗降客が多い駅では、梅田駅(御堂筋線)一番線が七〇センチメートル、同二番線が六八センチメートルであり、難波駅(御堂筋線)一番線が七三センチメートル、同二番線が七三センチメートルであり、天王寺駅(御堂筋線)の一番線から三番線までがいずれも七二センチメートルであった。
 地下鉄の全番線では、約七割の番線が、施設整備ガイドラインが定める八〇センチメートルの距離を充たしていない。
 被告は、線路と平行にホームの縁端から約八二センチメートルのところに警告ブロックを敷設していると主張しているが(平成一一年九月一三日付被告準備書面(一)一八頁)、右のとおり、全く事実に反していたことが判明した。
 このように、被告が、事実に反する主張をすること自体、甚だ理解に苦しむところである。いずれにせよ、右の設置状況は、視覚障害者にとって最低限度の安全さえも保障されていないことを意味している。
3 電車の最前部停止位置から転落防止柵までの距離は、五メートル未満の場合も多くあり、転落防止柵の設置の有無及び設置位置がまちまちである。
 被告は、平成一一年九月一三日付準備書面(一)において、平成六年改正前の普通鉄道構造規則第三三条六項を持ち出し、右規則に準じた自主基準を定めているとして、電車の停止位置の先端から五メートル以上の間隔が必要であり、御堂筋線天王寺駅ホームに転落防止柵を設けることはできないと主張する(同書面第一の三の二・一三頁)。
 しかし、大阪市営地下鉄の他の駅、他のホームを見ても、「五メートルの間隔」はまったく守られていない。
 右間隔が四メートル以下の番線だけみても、二二六番線中、五一番線にものぼっている。
 しかも、五メートルの間隔を満たしていなくても転落防止柵が設置されている番線(ホーム)が多数あり、転落防止柵が設置されていないのは、御堂筋線に集中するという不自然な結果になっている。
 右のような事実によると、五メートルの間隔を遵守するために、転落防止柵を設置できないという被告の主張は、完全に破綻しているというほかない。
4 駅員配置が不十分である。
 前記の調査結果によれば、調査した日と時刻において、ホームに駅員が配置されていたのは、二二六番線のうちわずか三七番線と約一六パーセントに過ぎなかった。
 乗客の安全を監視する駅員を配置することは、ホームの安全確保において極めて重要であるが、このような不十分な配置しかなされていない。
 これでは、乗客の安全な輸送という公共交通機関の果たすべき責務を全うしていないといわざるを得ない。
5 なお被告は、大阪市営地下鉄が赤字を計上し、厳しい財政状態にあることを述べ立てたうえ、そのために、十分な安全設備が不可能であると主張するかのごとき口吻を示しているが、厳しい財政状況は何の弁解にもならない。
 乗客の安全は、公共の交通機関が何よりも優先してその確保に努めなければならない最優先課題であり、財政状況が苦しいことは何ら免責事由となり得ないからである。このことは最高裁判例の趣旨からも明らかである (最判昭和四五年八月二〇日民集二四巻九号一二六八頁参照)。
6 また、被告は、大阪市近郊の人口増加に伴う輸送人口の増大についても述べているが、地下鉄を利用する乗客数が増加しているのであれば、当然その中に占める視覚障害者の数も増大しているはずであり、安全確保措置をとる必要性は高まりこそすれ、決して低くはならない。しかも、被告は、増加する乗客に対応するために列車ダイヤが過密になっていると主張するが、ダイヤが過密になればなるほど、視覚障害者がホームから転落した場合に命を落とす危険性が一層増大することになるから、より万全の安全対策が講じられなければならないことになる。 したがって、被告が主張する地下鉄の利用者の増加及び過密ダイヤは、被告の安全対策を採る責任をより加重するものといわねばならない。

第二 被告の主張に対する反論
一 被告の主張の不当性
  被告が本件転落事故の原因として主張するところは、その内容が不当極まりないこともさることながら、筋違いも甚だしいというほかないので、まず、そのことについて述べる。
  本件で原告が問題にしているのは、原告が転落した場所には、本件駅の視覚障害者が駅ホームの単独で利用する際の安全を確保するために最低限必要と考えられるホーム縁端部の点字ブロック及び転落防止柵のいずれもが存在せず、ホームには駅員もいなかったということである。    
  換言すれば、視覚障害者の生命・身体の安全を守るための最低限のセーフティーネットが本件駅ホームには欠如しており、危険な場所があったと訴えているのである。
  駅ホーム上は、どの場所であれ視覚障害者を含む利用者が歩行することを予定しているのであるから、中央部であれ終端部であれ、視覚障害者にとって危険な箇所があってはならないのは当然であって、駅ホームの設置管理者は、視覚障害者が、駅ホームの端から端までどこの部分を歩行しようとも安全が確保されているように設置管理しなければならないのである。
  したがって、原告が、本件駅ホームの危険な場所に迷い込んだことが本件事故の原因であるかのように主張するのは、筋違いも甚だしいといわねばならない。
  つまり、原告は、何人でも歩行が認められているホーム上を歩行していたに過ぎず、駅ホームの設置管理者が予見できないような場所に敢えて入り込むなどして危険に接近したわけではないからである。
  以上によると、原告が天王寺駅での降車位置を誤解して、本件駅ホームの終端部に歩いて行ったことや警告ブロックを認識できなくなっても歩行したことを問題にすべきでないことは明らかである。
二 晴眼者の介助の不適切について
  被告は、地下鉄御堂筋線梅田駅で、付き添っていた友人が、駅員に案内を求めなかったこと、原告がいつも乗車する位置を聞いて誘導しなかったこと、原告が乗車した車両が何両目であるか告げていないことを問題にする。
  しかし、たまたま一緒に帰った友人が、乗車する駅ホームまで善意で付き添ってくれたという場合において、右のような要求をするのは非常識極まりないことであって、右友人が、法律上、右のような注意義務を負うことはあり得ない。
  もし、親切で付き添ってくれた友人にまで被告が主張するような法的注意義務まで課するとすれば、視覚障害者に対して手引きをするなど協力をしてくれる友人や通りすがりの人はいなくなってしまうのであろう。
  そもそも、駅ホームは、視覚障害者が単独で利用しても安全が確保されているというのが大前提であるから、付添人が、視覚障害者に乗車位置を知らせないなどのことがあったとしても、それは単独利用の場合と比べて危険が増大したとはいえない。乗車位置がわからなかったとしても、駅ホームは、視覚障害者が単独で利用できるように安全が確保されていなければならないから、付添人に注意義務違反があるとか、事故の原因になったと評価することは失当である。
三 原告の不注意について
 1 そもそも、視覚障害者は、これまでの駅ホームからの転落事故例が示しているとおり、すでにある意思決定をしている場合や別のことに注意が向いている場合などは、目的としていない方向に歩行したり、危険な方向に誤って歩行したりすることがままある。
   しかし、それは、視覚障害者が、視覚情報を得られないからにほかならず、視覚障害者であれば何人でも陥る可能性があるものであって、このことをもって、視覚障害者に注意義務違反があるとするのは、余りにも酷であり、視覚障害者に不可能を強いるものというほかない。
   したがって、視覚障害者であるが故の誤解や勘違いなどをもって、過失があるというべきではない。
 2 被告は、原告が、梅田駅で乗車する際に、駅員に乗車や降車の手助けを依頼するか、付き添ってくれた友人にいつもの乗車位置を告げてそこまで誘導してもらうべきであったと主張する。
   しかし、既に述べたとおり、本来、駅ホームは、視覚障害者が単独で利用しても安全が確保されていなければならないから、駅員に手助けを依頼しなかったことや友人に誘導してもらわなかったことが原告の不注意であるとか、事故の原因であるとされるいわれはない。
 3 被告は、原告が天王寺駅下車後、警告ブロックを覚知できなくなった後も歩行し、停止しなかったことを問題としている。
   しかし、点字(警告)ブロックを見失った視覚障害者としては、点字ブロックの位置を確認しようとして、移動することは不可避であり、これを責めることはできない。
   もし、原告が警告ブロックを覚知できなくなった後に、停止しなければならなかったというのであれば、原告は、停止したまま、黙って誰かの助けを待つのか、それとも、大声を上げて助けを求めろとでもいうのであろうか。いずれにしても、原告に不可能を強いるものである。
   したがって、この点について、原告には何らの落ち度もないといわねばならない。
 4 更に、被告は、原告が直近に進行中の電車の音、風を耳や身体で感知しながら、進行中の電車に寄って行ったと主張する。
   しかし、原告は、発車した電車の音を感じたものの、電車との距離は分からなかった。
   既に述べたとおり、音源(聴覚)によって距離や方向をつかむことは、視覚障害者にとって非常に困難であるが、特に、地下鉄では、音が反射して、音を感知しても方向や距離を感じ取るのはより一層困難であるし、かえって、音に頼って行動すると、誤ることも多く、危険である。
   したがって、右の点についても、原告には落ち度は認められない。

以上


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