平成一一年(ワ)第三六三八号 損害賠償請求事件                原 告   佐  木  理  人                被 告   大阪市                  準 備 書 面(第六回)    二〇〇〇年九月  日              原告訴訟代理人                弁護士   竹下義樹                          同     岸本達司                          同     神谷誠人                          弁護士   坂本 団                          同     下川和男                          同     高木吉朗                          同     山之内         桂                同     伊藤明子           大阪地方裁判所              第一七民事部合議イ係              御 中 記 一 視覚障害者の歩行特性について  1 被告は、「触知を続けていたホーム縁端警告ブロックが触知できなくなっ たことが危険の表示である。」、「右危険の表示と警告は、右縁端警告ブロッ クを覚知できない限り続いているのである。」、「原告は、右危険の継続的警 告を受けていながら、これを顧慮することなく五メートル以上進行して列 車に接触しているのである。」、「信号機の設置されている交差点において、 晴眼者が、対面赤信号がでて危険警告があると停止するのと同じように、 視覚障害者においてもホーム縁端警告ブロックを触知できないという危険 信号がでれば停止するのが当然ではないかと思われる。」「信号機の設置さ れている交差点で晴眼者が赤信号を無視して交差点に進入するに等しい。」 などと主張し(被告準備書面(五)七頁以下)、本件事故の原因は、原告が ホーム縁端警告ブロックを触知できなくなったにもかかわらず、そのまま 進行したことにあったかのように主張する。    しかしながら、以下に述べるとおり、被告の右主張は、自らに課せられ た安全確保の責務を放棄し、視覚障害者に対して責任転嫁を図ろうとする 不当極まりないものである。  2 まず、ホーム縁端警告ブロックが、ホームの縁端であることを視覚障害 者に警告するのであり、同ブロックがないこと(覚知できないこと)が、 視覚障害者に対する危険の表示や警告になることはあり得ない。これは、 被告が、本来危険を表示するホーム縁端警告ブロックを設置しないでおき ながら、原告に対して同ブロックがないことが危険を表示していると認識 すべきであったというもので、責任転嫁も甚だしい主張である。    このように、自らは危険状態を漫然と放置しておきながら、事故にあっ た利用者が、危険状態を認識すべきであるとして、利用者に対して事故の 責任を一方的に押し付けるもので、到底受け入れられない主張というほか ない。  3 しかも、仮に、被告が主張するように、視覚障害者が、縁端警告ブロッ クを白杖や足の裏で触知し続けて歩行していたとしても(ここには視覚障 害者の歩行方法に対する認識の誤りがあることは後述するとおりである。)、 触知を続けていたホーム縁端警告ブロックが触知できなくなった時点で、 その先はホーム縁端警告ブロックが存在していない場所であるとの認識に 達することは不可能であり、したがって、危険性を認識することもない。    即ち、視覚障害者は、ホーム縁端警告ブロックが触知できなくなったと しても、自分が歩行している付近に同ブロックが存在しないと認識するだ けで、直ちに同ブロックが前方に存在しないとの認識に達するものではな い。そのホームには、縁端警告ブロックが存在していない部分があるとい う知識が予めあり、自分がまさにその部分に立ち入っていることを認知し なければ、前方に同ブロックが存在しないと認識することは不可能である。       視覚障害者は、例えば、同ブロックが屈曲しているために、同ブロック を一時的に触知できなくなったに過ぎず、ホーム縁端には警告ブロックが 存在すると考える場合もあるし、自分が直進しているつもりでも蛇行した ために、警告ブロックを一瞬触知できなくなったのではないかと考えるこ ともあろうし、なぜ、突然に警告ブロックが触知できなくなったのか判断 できない場合もあろう。    このように、視覚障害者は、警告ブロックを触知できなくなったからと いって、直ちに同ブロックが前方に存在しないという認識に達するとはい えないのである。    晴眼者は、前方にホーム縁端警告ブロックがないことが見えているので、 ブロックが触知できなくなった視覚障害者も同様の認識をするであろうと 考えがちであるが、これは視覚障害者の歩行の実情を知らない晴眼者の論 理というほかない。    したがって、晴眼者が赤信号を無視して交差点に進入するに等しいなど という被告の前記主張は、視覚障害者に対する無知・無理解をさらす暴論 そのものである。  4 更には、誘導ブロック・警告ブロック・白杖の使い方については、いろ いろな手法があり、すべての視覚障害者が、常時白杖または足裏で点字ブ ロックそのものを触知しながら、ブロックの上を歩行しているわけではな い。むしろ、常時点字ブロックを触知しながらブロックの上を歩行する視 覚障害者は少ないといってよい。    したがって、点字ブロックからわずかでもはずれたら、直ちに危険と判 断すべきというのは視覚障害者の歩行実態と乖離しており、どこにでも誘 導・警告ブロックが適切に敷設されているわけではない現状においては、 いっそう成り立ち得ない理屈である。    既に幾度か述べているとおり、ホーム縁端警告ブロックの役割は、そこ がホームの縁端部であって危険であることを示すことにあるから、視覚障 害者は、同ブロックを常時触知しながら同ブロック上を歩行することが要 求されているわけではないし、現実にも、視覚障害者は、そのような歩行 をしていない。     運輸省のガイドラインによると、ホーム縁端警告ブロックはホーム縁端 部から八〇センチメートル以上離れて敷設することが要求されているが、 現実には八〇センチメートル程度の位置に設置されている鉄道が多く、大 阪市営地下鉄の場合は六〇〜七〇センチメートルの位置に設置されており、 つまずいたり、転倒したりすれば、たちまち線路に転落するか、列車に接 触する危険がある。したがって、視覚障害者にとって、ホーム縁端警告ブ ロック上あるいはこれに沿って歩行することは、通常の歩行をしている限 りはホームから転落することはないものの、右に述べたようなトラブルが 生じた場合には転落する危険がある。    そのため、駅ホーム上における視覚障害者は、ホーム縁端から離れてホー ムの内側を歩くことに主眼を置いており、自分の進行方向と平行の位置に 縁端警告ブロックが存在していると信頼して移動しており、知らずのうち に方向を誤って縁端部に近づいたような場合でも、そこには必ず縁端警告 ブロックがあるからこれを触知でき、転落の危険を回避できるという認識 のもとに歩行しているのである。    したがって、ホーム縁端警告ブロックの内側を、ときどき同ブロックを 白杖で触知しながら歩行する視覚障害者もいるし、同ブロックを触知せず に、ホームの内側を白杖で確認しながら歩行する視覚障害者もいるのであ る。    後述するとおり、本件事故の際、原告も、常時警告ブロックを触知し続 けて歩行していたのではなく、ホームの構造を頭の中で思い描きながら、 自己の進行方向を定めてホーム内側の安全な位置を歩行していたのである。  5 被告は、ホーム縁端警告ブロック等を確知することができなければ、列 車の走行音、構内放送、人の歩行音、列車の進行に伴う風の方向等で、安 全な進行方向を確認してから進むべきであると主張する。    しかしながら、繰り返し述べるとおり、風圧・音などといった非視覚情 報は、距離感や方向を把握するための情報としては、極めて不完全であり、 閉鎖空間である地下鉄駅構内においては、構造物への反射等により、一層 不確実なものとなる。よって、そのような情報に依拠していたのでは、か えって誤った判断を招きかねないものである。 二 本件における原告の歩行状況  1 原告は、天王寺駅に停車した車両から降りた後、ややホーム内側部分を 縁端警告ブロックに沿って歩行していた。    被告は、原告が降車してからずっと縁端警告ブロックを触知してこれを 辿りながら歩行していたかのように誤解しているが、原告は自分の歩行す る位置が常に縁端警告ブロックの左側にあるようにとの意思のもとに、白 杖で路面を確認しながら、縁端警告ブロックの線路側へ行かないように進 路を定めて歩行していたのであり、常に縁端警告ブロックに触っていたわ けではない。  2 原告は、現実にはA階段を行き過ぎていたのであるが、ホーム上には、 視覚障害者が解しうるような階段の位置を示す標識はなく、監視の駅員も おらず、乗降客からの声かけもなかったので、自分の位置情報を修正する 契機は与えられず、内心ではB階段へ向かって歩いているものと認識して いた。原告はかかる認識のもとに、A階段を過ぎてもなお前進を続けた。    視覚障害者である原告は、自分がホーム終端の何もない部分に向かって いるという認識を持ちようがなく、位置情報を修正する契機はなんら与え られていなかったため、被告がホーム終端を示すために採用しているとい う縁端警告ブロックの屈曲部分を通り抜け、そのままホーム終端の縁端警 告ブロックが敷設されていない部分に入り込んだ。原告は、天王寺駅のホー ム終端に縁端警告ブロックが敷設されていない部分があることも事前には 一切知らなかったし、現にその部分に立ち入っていることなど知る由もな かった。  3 原告は、常時縁端警告ブロックを辿りながら歩いていたわけではないか ら、右屈曲部を通過した時点以後においても、縁端警告ブロックが触知で きなくなった、更には同ブロックが途切れたとは認識していない。原告は 自分の歩行する位置が常に縁端警告ブロックの左側にあるようにとの意思 のもとに、白杖を前方に保持して縁端警告ブロックの線路側へ行かないよ うに進路を定めて歩行しており、縁端警告ブロックの左側に位置している との意識は常に有していた。したがって、原告に対して、そのまま進行す れば危険であるとの警告は一切なされておらず、原告が、危険性の認識を することなど到底不可能である。  4 このように、危険性の警告を始め、位置を修正する情報を一切与えられ なかったことから、原告は、そのまま進行方向を保持し、白杖を振りなが ら歩行していったところ、ホーム東端の壁に白杖が触れた。    その壁の材質は、原告がそれまでの経験上知っている階段裏のものと同 一の感触であり、その場所にホームの終端部であることを示すような標識 を一切感知できなかったので、原告は、ここでも自分の位置情報を修正す る契機が与えられないまま、A階段の裏側に触れたと認識し、A階段を回 り込もうとして、線路側へ体を移動させた。    その際、原告は、天王寺駅では階段わきの通路が、比較的狭くなってい ることを経験上了知していたので、まず自分の安全な位置を確認するため に、ホーム縁端警告ブロックを触知しようとして白杖を操作していた。と ころが、現実にはその触知しようとした部分の縁端警告ブロックが存在し なかったため、線路側へ接近しすぎてしまい、走行する列車に白杖が接触 してはずみで体ごと巻き込まれてしまい、本件事故に至ったのである。  5 以上に述べた原告の歩行状況によると、原告の歩行には何ら責められる べきところはなく、本件駅のホーム終端部まで縁端警告ブロックが敷設さ れているか、ホーム終端部に転落防止柵が設置されておれば、本件事故が 発生しなかったことは明らかというべきである。 三 「対置される利益」と被告の責任との関係  1 公共施設管理者が施設の設置保存の瑕疵を問われる事案においては、管 理者側の反論において施設運用上の必要性、施設利用上の特性、予算措置 の限界などが常に問題とされてきた。    本件において、被告は、転落防止柵不設置の目的として、多量、高速運 送における円滑・安全な乗客の乗降を図ることにあるとし、これが転落防 止柵の設置と「対置される利益」であると主張している。  2 被告は、右主張を前提として、原告が引用した日本坂トンネル事故控訴 審判決では、他の対置される利益がなかったから、瑕疵が認定されたかの ように主張する。しかし、同判決において、同事件控訴人日本道路公団は、 施設設備の運用・管理について、大量高速交通路の確保の必要があるから、 保守点検に手間のかかるITV(トンネル内画像監視装置)を常時運用し なかったことは、施設管理者として合理的な判断であると主張し、同設備 の運用の瑕疵を否定しようとしたが、右判決では運用に瑕疵があったと判 断したのである。    したがって、被告の右主張は失当である。  3 被告は、「多量、高速運送における円滑・安全な乗客の乗降」という対置 される利益のために、転落防止柵が設置できないと主張する。    被告が主張する「円滑・安全な乗客の乗降」の中に、「視覚障害者の安全」 は含まれていないとでもいうのであろうか。右主張によると、「視覚障害者 の安全」に対置して、「視覚障害者以外の多数の乗客の円滑安全な乗降」と いう利益を想定し、後者の利益を優先しているとしか考えられない。    しかし、地方公共団体が経営する公共交通機関である大阪市営地下鉄が、 視覚障害者を含めた利用者全体の安全を可能な限り実現すべきことは当然 の責務であるにもかかわらず、右のように利益を対置し、視覚障害者の安 全を軽視するとしか考えられない主張をするのは、右のような責務を負っ ていることの自覚を全く欠いているというほかない。    また、原告が主張しているホーム縁端の警告ブロックをホーム終端部ま で延長することについては、被告の右主張によっても何らの「対置される 利益」を見出すことはできないことを指摘しておく。  4 いずれにしても、「円滑・安全な乗客の乗降」という対置される利益があ るからといって、当然に転落防止柵の不設置が適法になるわけではない。    被告としては、視覚障害者を含めたすべての利用者の安全を確保すると いう目的、障害者が公共交通を利用する際の利便性・安全性というバリア フリーという観点、停止位置前方五メートルの範囲に転落防止柵を設置す ることにより確保できる安全性の程度(転落防止柵の設置により安全性が 確保できるのは、視覚障害者のみならず、晴眼者を含めたすべての利用者 に及ぶと解される。)、逆に、転落防止柵の設置により生じる不都合の有無・ 程度、転落防止柵を設置しないことによる危険性の程度、転落防止柵が設 置できないのであれば、これに代わる代替的な安全措置を講じる必要性と その措置内容などが厳格に問われなければならないのである。    このように、仮に被告の主張する「対置される利益」が想定できるとし ても、それと相反する利益との調和点を見出すことは十分可能であるし、 現実の社会では、多様な利益を調整して最善を尽くすという日々の努力の あり方がまさに問われている筈である。    ところが、被告は、「対置される利益」があるからという理由だけで、自 らの判断を正当化しており、これは、視覚障害者利用者を含む鉄道利用困 難者の利益を余りにも軽視したものというほかない。 四 求釈明申立ての追加   被告は、大阪市営地下鉄課長通達(営業課s四)「視覚障害者への対応に ついて」には、改札係員の対応として、「視覚障害のお客さまを改札口付近で 見かけた場合は、地下鉄職員である旨を伝えて、積極的に『一声』かけると ともに、必ずこの旨を駅長室へ業務連絡する(報告)する。」と記載されてい る。   右通達がなされてから現在まで、右業務連絡(報告)は、如何なる方法で 行われてきたか。右業務連絡(報告)を記録する文書は存在したのか。存在 したとすれば、それは、何時からどのように記録されていたのか。   右業務連絡(報告)以外に、視覚障害者を案内した場合に、これを報告な いし記録する文書は存在したのか。存在したとすれば、それは、何時からど のように記録されていたのか。   右の各文書が存在するのであれば、本件事故当日の御堂筋線梅田駅におけ る右業務連絡(報告)等を記録した文書を提出されたい。                               以 上 2 1