平成13年(ネ)第3719号 損害賠償請求控訴事件     控訴人      佐木理人          被控訴人 大阪市         準備書面(控訴審第3回)                          2002年4月3日  大阪高等裁判所              第6民事部D係  御中           控訴人代理人 弁護士  竹下義樹                          同           岸本達司                                   同           坂本 団                        同           高木吉朗                         同           山   之   内   桂            同           伊藤明子                        同           和田義之                        同           石側亮太              第1 はじめに 被控訴人は,原審段階より本件ホームにおける控訴人の行動・歩行方法に問 題があった旨主張し,本件事故の原因をこの点に求めてホームの設置・管理の 瑕疵を否定しようとしてきたが,控訴審においても殊更にこの点を強調してい る。 すなわち,被控訴人は,控訴人準備書面(控訴審第1回)に対する反論とし ての準備書面(11)中,随所において控訴人の行動・歩行方法に対する非難 を繰り返し(同書面3(2)(5頁),同8(2)(9頁),同11(2) (11頁),同14(2)(13頁)等),本件事故の原因は,「乗車特性の 無視」「環境認知の不十分」「控訴人の不用意な行動」「縁端警告ブロックの 無視」等の控訴人側の要因にある旨主張している(同書面14(2)(14頁, 19頁)等)。 しかし,控訴人の取った行動・歩行方法は,地下鉄の利用者として何ら問題 あるものではなかった。 そこで,本書面においては,特にこの点について改めて論証し,被控訴人の 主張に再反論を加えると同時に,被控訴人の主張に内在する根本的な問題点を 明らかにする。 第2 各論的反論 便宜上,被控訴人の主張する上記各事故原因(準備書面(11)14頁,1 9頁)に即して反論する。 1 「乗車特性の無視」との主張について (1) 被控訴人は,「(控訴人は)パターン行動の起点である梅田駅乗車 時において既にその位置を確認しておくべき義務が存したところ,こ れを怠り,その後の事故の発生を惹起した」と主張する(準備書面 (11)14頁)。 しかし,視覚障害者が地下鉄を利用するに際し,被控訴人の主張す るように,常に乗車位置を確認して一定のパターンに従った行動をす るようなことは,これを現実に視覚障害者に対して要求することは可 能でも妥当でもない。 (2) すなわち,晴眼者と同じく現代社会での生活を営む存在である視覚 障害者にとって,地下鉄を始めとする公共交通機関を利用する必要が あることは当然である。むしろ,自動車等の運転が困難であることを 考慮すれば,視覚障害者にとっての移動手段としての公共交通利用の 必要性は晴眼者以上であるとも言える。 そして,公共交通の通常の利用の仕方として,視覚障害者も当然, 未知の駅を利用することもあれば,途中で行き先を変更することもあ るのである。また,事情によっては普段と違う乗車位置から乗車する こともあれば,乗車位置の確認ができないこともある。 つまり,被控訴人が想定するようなパターン的な行動を常に取るこ とが出来るはずはないのである。これは晴眼者の公共交通機関利用が 常に一定のパターンに従ったものでないことと何ら変わりのないこと である。視覚障害者が歩行訓練においてパターン的な行動の訓練を受 けるのは,訓練を受けたパターンどおりの行動から逸脱しないためで はなく,頻繁に利用するルートにおいてより円滑・安全な行動を可能 とするためのものに過ぎない。 被控訴人の主張は,視覚障害者はすべからく自己の行動パターンを 確立し,それに従って歩行すべきものであり,このパターンから逸脱 した行動については視覚障害者自身の責めに帰すべきであると言って いるに等しい。言うまでもなくこれは視覚障害者に対して不当に義務 を加重するものであり,視覚障害者の公共交通機関利用を著しく制約 する発想である。その発想には,視覚障害者が晴眼者と等しく社会生 活を営み,公共交通機関利用を利用する存在であるとの視点が完全に 欠落しており,前時代的な差別的発想が抜きがたく横たわっていると 言わざるを得ない。 (3) 以上述べたとおりであるから,原告には被控訴人の主張するような 義務は存在しない。視覚障害者である原告が,偶々乗車位置を確認せ ず,訓練を受けたパターンと違う行動を取ったからと言って,控訴人 に何らかの義務違反が発生するものではなく,被控訴人が安全確保の 義務を免れる理由となるものでもない。 2 「環境認知の不十分」との主張について (1) 被控訴人は,「歩行者は,歩行の安全性と能率を高める上で,環境 を的確に認知し,その環境に応じて機敏な行動を取ることが要求され ている。視覚障害者は,視覚によって環境を認知することができない ので,それに変わる感覚その他の手段を総合して環境を認知しなけれ ばならない」として「触覚による環境の認知」「白杖による環境の認 知」等の項目を列挙し,恰も視覚障害者が歩行に際して法的に「環境 認知義務」を負うかの如き主張をする(準備書面(11)15頁ない し17頁)。  (2) しかし,被控訴人の上記主張は,何を根拠として誰に対する義務 を負うというのか全く明らかでない。 ア 被控訴人による,視覚障害者の「環境認知義務」論が成り立つた めには,前提としてそれに対応する視覚障害者の「環境認知能力」 が存在しなければならない。 この点被控訴人は,上記主張中にその論拠として乙42号証を繰 り返し引用している。 しかし,同号証は,「歩行指導の手引き」とのタイトルや,その 記載内容から明らかなとおり,視覚障害を持つ児童に対する歩行指 導の方法を示した文献である(盲学校教師用のテキストであると思 われる)。かかる同号証の性格からして,そこに示される環境認知 の手段を視覚障害者が十全に身につけているという一般的な事実を 読みとることは不可能である。同号証の記載から読みとることが可 能であるのは,歩行指導の前提としての「視覚障害があっても,そ れを補う様々な環境認知手段を身につけることが可能である」とい う事実にとどまるのである。そして,この事実のみからでは,視覚 障害者の何らかの環境認知義務を導くことは論理的に不可能である。 現実にも,視覚障害者の能力は当然様々であって,同号証に示さ れる手段を全ての視覚障害者が十全に身につけている訳ではない。  また,たとえ視覚障害者が視覚を補う様々な環境認知手段を身に 付けたとしても,かかる手段によって得られる情報には自ずから制 約があり,完全に視覚にとって代わる環境認知を可能とするもので はない。従って,視覚障害者にとっては,自ら取りうる手段を尽く しても完全な環境認知を行うことは困難なのであり,視覚障害者に 対して環境認知を法的義務として要求することは根本的に誤ってい るのである。 以上のとおり,乙42号証は到底被控訴人の「環境認知義務」論 の根拠とはなり得ない。 イ また,被控訴人が乙42号証に基づかずに主張するガイドブック 等による環境認知について付言するならば,これらが作成,参照さ れる本来の目的は,地下鉄等の利用の便宜のためであって,危険箇 所の確認のためではない。 現に被控訴人が発行する点字構内案内図には,点字ブロックの位 置も記載されていないし,駅ホーム利用に際していかなる危険が存 するかを把握出来るような資料ではない。また,ガイドブック等は 全ての利用者に行き渡っているものでもない。 ガイドブック等によって,駅構造の全てを把握し,視覚によると 同様の環境認知を行うことは不可能である。 したがって,ガイドブック等が作成されているからと言ってこれ を参照・確認しない視覚障害者が非難されるいわれはない。 (3) 以上のとおり,被控訴人の環境認知義務論は,その根拠を欠いてお り,そもそも論理的に成り立ち得ないのである。 結局のところ,上記(1)に示した被控訴人の主張部分は,「歩行 者が,環境に応じた機敏な行動を取ると歩行の安全性が高まる(ちな みに,歩行の「能率」とは何を意味するのか不明である)。視覚障害 者は,視覚に変わる手段によって環境を認知せざるを得ない。」とい う当然の一般的事実の叙述以上の意味を持つものではない。いみじく も被控訴人自身が上記部分に対応する総括部分(「き」)において, 「視覚障害者は,一般的にあ〜かで得た情報を総合して環境認知を行 うのである」と述べるとおりである。 (4)ア 被控訴人は,上記主張に続いて,「b 控訴人の環境認知の不十 分」と題し(準備書面(11)18頁),控訴人の行動が上記主張 にかかる環境認知義務に違反していたかの如き主張をするが,視覚 障害者が,控訴人の想定するような環境認知の義務を負うものでは ないことは既に述べたとおりであるから,当然,控訴人には何らの 義務違反も存在しない。 イ なお,誤解の生じないように若干付言するに,視覚障害者は環境 認知の「義務」を負うものではないが,実際に地下鉄を利用する視 覚障害者は,駅のホームという空間の恐怖を誰よりも切実に感じる 立場にあるから,自ら取りうる手段を尽くし,まさに全神経を集中 して環境認知に努めながらホーム上を行動しているのであって,環 境認知を「軽視」していることは凡そあり得ない。本件事故当時の 控訴人も例外ではなかったことは無論である。 ただ,被控訴人が一方的に想定するように,視覚障害者が自ら取 りうる手段のみによっては,十分な安全を確保することは不可能で あるから,安全確保の責めを視覚障害者自身に帰すことは許されな いと主張しているのである。 3 「控訴人の不用意な行動」又は「警告ブロックの無視」との主張について (1)ア 被控訴人は,控訴人が「ホーム縁端警告ブロックを触知出来なく なった後も,それを探そうともせずそのまま歩行を続けた」として 非難する(準備書面(11)17,18頁等)。 イ かかる非難は,そもそも控訴人が縁端警告ブロックを触知しなが ら歩行する義務があることを前提としている。 即ち,被控訴人は,「ホーム上を歩行するときには,縁端警告ブ ロックを触知しながら,それに沿ってホーム縁端にさらに近づいた り踏み越えたりしないように進行するのである。」,「縁端警告ブ ロックは,誘導機能も持っているのである。」(準備書面(11) 11頁),「縁端警告ブロックを無視して転落した」(同9頁)等 と主張し,その他繰り返しかかる義務を前提とする主張をしている。 しかし,以下に述べるとおり,この前提即ち被控訴人の警告ブロ ックの機能の理解についてそもそも誤りがあるのであって,非難は 失当である。 ウ 警告ブロックの機能について (ア) 警告ブロックは,原判決の示すとおり,それを超えた先には 危険が存在するとの危険表示である。従って,警告ブロックに 沿って歩いている限りは,常に危険表示を認識していることに なるから,理屈の上では,結果として安全が保たれるようにも 思われる。被控訴人が「結果的に…安全な方向に誘導すること になる」旨主張するのは(この結果を「誘導」なる概念に含む か否かは別論として),かかる発想を念頭に置いているからで あると思われる。 (イ) しかし,被控訴人のかかる発想は,視覚障害者の心理及びそ の歩行の実際を理解しない机上論に過ぎない。縁端警告ブロッ クに沿って歩くことは,実際には必ずしも常に安全であること を意味しないのである。 確かに,視覚障害者によっては,出来るだけ縁端警告ブロッ ク,又はホーム縁端そのものを,杖で触知しながら歩こうとし, その歩行方法に安心を感ずる人もいるのは事実である。しかし, これはその方が「判りやすい」ために取る行動であって,その 方が「安全であるから」そのような歩行方法を取っているので はない。客観的に考えて,ホームの縁端から遠い壁よりの位置 (島式ホームにあっては中央よりの位置)の方が,より安全で あることは明白である。つまり,縁端警告ブロックに沿って歩 くことは,危険表示を常に認識して歩くことができる一方,客 観的に存在する危険により近い位置を歩かなければならないこ とをも意味している。このことから考えれば,縁端警告ブロッ クが本来これに沿って歩くことを予定して敷設されているもの ではないことが容易に理解できるはずである。 控訴人は,かかる意味において,縁端警告ブロックは飽くま でも危険表示であって,安全な方向に誘導する機能はないと主 張しているのである(なお,控訴人の主張は縁端警告ブロック に沿って歩く歩行方法そのものを批判する趣旨ではない)。 (ウ) また,実際には縁端警告ブロックの上には,他の乗客が立っ ていたり,他の乗客の荷物が存在したりすることも多く,また, 現実には乗客の全てが視覚障害者の存在に気づいて道を譲ると は限らないので,常に縁端警告ブロックに沿って歩くことは, 必ずしも物理的に容易ではない。また,縁端警告ブロック上で 他の乗客や荷物にぶつかるのは,視覚障害者自身にとっても他 の乗客にとっても危険なことである。 従って,この意味においても,常に縁端警告ブロックに沿っ て歩くことを求めるのは安全でも現実的でもないのである。 (エ) 縁端警告ブロックの機能が以上述べたとおりのものであるこ とから,より安全なホーム中心部または壁よりの位置を歩行し ようとする視覚障害者の歩行方法を,縁端警告ブロックを「無 視している」「重視していない」等として批判することの不当 性は明らかである。被控訴人の引用する本人尋問32頁のとお り(準備書面(11)18頁),控訴人が「かなりの距離を縁 端警告ブロックを触知しないで歩いた」ことは当然なのである。 エ なお,被控訴人は上記引用部分に引き続き,本人尋問34頁の 「警告ブロックのことは重視していなかった」旨の発言をも引用す るが,控訴人が当該発言をしたのは,ホーム終端の壁を階段裏の壁 と思い,壁伝いにその角を探している場面に関してのことであるか ら,ホーム上の歩行に関してこの発言を引用するのは,尋問の文脈 の歪曲と言わざるをえないことを付言する。  (2) 被控訴人は,控訴人がホーム東端に至り,白杖で縁端警告ブロッ ク及びホーム縁端を確認せず進行中の列車に近寄ったとして非難する (被控訴人準備書面(11)18頁等)。 ア しかし,控訴人の当時の認識では当該壁部分は階段の裏だったの である(既に述べたとおり控訴人に乗車位置確認義務は無いから, ホーム終端の壁に至ったこと,これを階段裏の壁と認識したことに 対する非難は許されない)。 そもそも階段の裏の壁はホーム縁端側の角の部分に至るまで警告 ブロックと接続している部分は存在せず,壁に沿って杖ないし手を 用いて探索行動をとれば,縁端警告ブロックより先に角部分を発見 することになるのであるから,ここを回り込もうとすることが最も 自然な行動であって,それ以上に縁端方向に杖をのばし,警告ブロ ックを探索する必要はない。まして警告ブロックを超えて縁端その ものを探索確認する必要など更にないばかりか,列車進行時には極 めて危険な行動ですらある。 そして,控訴人が実際に到達した本件ホーム終端の壁も,当時縁 側の角に至るまで警告ブロックと接続している部分は存在せず,上 記階段裏の壁と全く同じ構造をしていたのであるから,控訴人が階 段裏の壁に至った場合と同様の行動をとったのは当然であり,被控 訴人の主張するように「壁の横に本来あるべきホーム縁端警告ブロ ックの探索」行動をとる義務など存在しない。  また,被控訴人は控訴人が「その壁の意味」を調査すべきであっ たとするが,まさに控訴人が主張しているとおりに縁端警告ブロッ クが終端部壁まで延長接続されていれば,前記の壁沿いの探索行動 をとる際に,角部分に至る前に当該警告ブロックを触知し,「その 壁の意味」即ち当該壁が階段裏ではないことを識別することができ たのである。 イ 結局,被控訴人の主張は,自らはホーム終端壁に到達した控訴人 が角部分に至る迄の自然な行動の過程の中で当該壁の意味を安全に 識別出来る手段を提供しないでおきながら,控訴人に対しては角部 分から更に危険な縁端方向の探索行動をとって「縁端警告ブロック が存在しないこと」を認識することを要求するもので,控訴人に極 度の困難と危険を押しつけるものである。 ウ 被控訴人は,本人尋問33頁の「(被控訴人代理人)もし…壁が 階段の裏であったり,柱であったりしたら,右側に縁端警告ブロッ クが杖で触知されなきゃいかんですね」「(控訴人)はい」との問 答に引きずられて上記主張をなしている可能性があるが,控訴人代 理人の当該質問自体が誤導なのである。 第3 総括 1 被控訴人の主張には,以上見たとおりに非現実的,非論理的な箇所が極め て多く見られる。これらは,単なる牽強付会である可能性も無いではないが, むしろ被控訴人の「視覚障害者」像の理解に問題があることに起因するもの と思われる。 2 即ち,被控訴人(具体的には交通局の担当者らや代理人ら)は,視覚障害 者を自己らとは異質の存在として捉えているがために,文献等によって観念 的に視覚障害者を理解しようとするのである。その態度は恰も図鑑を参照し て動物を理解せんとするかの如くである。その結果,文献の記載を鵜呑みに して「視覚障害者とはかかる能力を有し,その能力を用いてかく行動する者 である」式の,極めて図式的・画一的な理解に陥ってしまっているのである。 そして,自己の理解する視覚障害者像に基づいて,あるべき行動・歩行方法 を一方的に措定し,これに当てはまらない行動・歩行方法を「問題である」 として切り捨てようとしている。 3 しかし,現実の視覚障害者の能力・行動・歩行方法はそのように画一的な ものではなく,多様であることは当然である。 多少の想像力を用いることを惜しまず,視覚障害者を,実在する生身の人 間として,晴眼者と何ら異質ではない存在として捉えるならば,視覚障害者 も多様な存在であることが理解でき,上記の図式的・画一的な理解と,これ に基づいて何らかの義務を導こうとする発想が誤りであることを知りうるの である。 4 控訴人が従前から主張しているとおり,利用者の行動に基づいて本件ホー ムのような営造物の瑕疵の存在を否定し得るのは,その行動が設置管理者の 通常の予測することができない異常希有な事態である場合に限られることは, 最高裁第三小法廷昭和53年7月4日判決を初めとする判例の傾向の示すと ころである。 しかるに,控訴人の行動・歩行方法には何ら問題が無く,通常の予測の範 囲に属するものであるから,本件ホームの設置・管理の瑕疵を否定する理由 とは凡そなり得ないのである。 多様な利用者が存在することを当然の前提としている公共交通機関におけ る安全対策は,当然利用者の行動の多様性に応じられるものでなければなら ない。被控訴人の主張には,かかる発想が根本的に欠落しているのである。                                以 上 12 11