平成13年(ネ)第3719号 損害賠償請求控訴事件
控訴人 佐木理人
被控訴人 大阪市
準備書面(控訴審第5回)
2002年7月29日
大阪高等裁判所
第6民事部D係 御中
控訴人代理人 弁護士 |
竹下義樹 |
同 | 岸本達司 |
同 | 坂本 団 |
同 | 高木吉朗 |
同 | 山之内 桂 |
同 | 伊藤明子 |
同 | 和田義之 |
同 | 石側亮太 |
標記事件につき,控訴人は以下のとおり弁論を準備する。
記
第1 被控訴人準備書面(14)に対する反論
1 総論
被控訴人は,本件事故当時の大阪市営地下鉄の縁端警告ブロックの敷設,転落防止柵及び立入禁止柵の設置状況が,現在の横浜市営地下鉄1号線・3号線及び名古屋市営地下鉄東山線におけるそれと比較して「決して劣っているものではない」として,被控訴人のホーム設置管理には瑕疵が無かったと主張している。
しかしながら,かかる主張は,控訴人が控訴審準備書面(2)で述べたとおり,そのような比較自体無意味であるのみならず,被控訴人の提出した証拠資料を仔細に検討すれば,上記名古屋,横浜両地下鉄に比して大阪市営地下鉄の当時の状況が「決して劣っているものではない」とする前提すら誤りを含んでいることがわかる。
以下,控訴人の主張が,その判断構造から見ても無意味であることを述べた上で,さらに名古屋,横浜の地下鉄における点字ブロックの敷設,転落防止柵,立入禁止柵の設置状況について検討する。
2 比較自体の無意味性
(1) 比較という判断基準自体が無意味であることについて
ア 本件で問題になっているホーム設置管理上の瑕疵について,水準論が妥当しないことは控訴人が既に主張しているとおりであるが,そうである以上,本件被控訴人準備書面(14)のように,横浜市営地下鉄や名古屋市営地下鉄のような他事業者の例を持ち出して,自らの設備管理上の瑕疵を瑕疵でないと強弁することは出来ない。
後述するように,名古屋市営地下鉄においても横浜市営地下鉄においても,大阪市営地下鉄の本件事故ホームに比しては,安全性を有していたとはいえ,それでも,視覚障害者の歩行の安全確保にとっては,未だ十分とは言えないのである。
従って,被控訴人としてなすべきは,他の事業者の設置管理上の不備をあげつらって,自らの設備管理上の瑕疵から目を逸らさせるのではなく,自らの瑕疵を是正しつつ,他の事業者にも,いかなる設備が視覚障害者の歩行の安全にとって必要なのかを示して,全国的に安全設備の水準を高めていくことが大事なのである。そして,何度も言うが,ホーム終端部に転落防止柵を敷設し,それと警告点字ブロックを連結させることには,何らの技術的障碍もないのである。
イ この点につき,被控訴人は,準備書面(11)において,「原判決は,他の鉄道事業者が低レベルの安全対策しかとっていないから,被控訴人も低レベルの安全対策でも良いと判示しているのではな」く,「各鉄道・駅ごとに個別に事情が異なること,統一した基準がないこと,優先の選択の余地があること,効果につき見解が分かれることから,各鉄道事業者において合理的な裁量の余地のあることを示した」ものとし,原判決は水準論を採ったものではなく,裁量論によるものとしている。
しかしながら,本件で問題となっているのは,視覚障害者の歩行の安全に関することであり,ホームからの転落事故が一旦発生すれば,生命にさえ関わる事柄であるから,各鉄道事業者ごとの裁量に委ねられる性質のものではない。各鉄道事業者ごとに設備の設置基準が異なること自体,視覚障害者にとっては,公共交通機関の利用を極めて使い勝手の悪いものとし,ひいては転落事故発生の危険を増大させる要因となっているが,それはさて措くとしても,視覚障害者の安全については,各交通機関がそれぞれの設備をもって,確保しなければならない事柄と言わねばならない。
そして,ホーム縁端部の転落防止柵及び警告ブロックは,ホーム縁端部において,視覚障害者がホームから転落することを防止する基本的な設備であり,視覚障害者の歩行の安全確保という点で決定的に重要な意味をもつ。従って,そもそも,各鉄道事業者ごとの裁量に任されても良いような事項ではありえず,最大限に安全を確保する設置方法が実施されなければならないのである。
確かに,被控訴人が準備書面(14)において示すように,警告ブロックをホーム縁端部分から厳密に80センチメートルの位置に敷設するか,又は階段や柱と警告ブロックが衝突することを避けるため,8センチメートルほどホーム側にずらして敷き詰めるかを決定するには,個別のホーム特性を考慮した上での各事業者ごとの裁量に委ねられねばならない部分もあろう。
しかしながら,本件で問題になっている事項のように,そもそも転落防止柵を設置するか,縁端警告ブロックをホーム終端までもしくは,転落防止柵が設置されている位置まで連結して敷設するかなどについては,それが視覚障害者の歩行の安全に決定的に影響する以上,各事業者ごとの裁量に委ねられるものであってはならない。
従って,原判決が,もし裁量の幅を示す意味で他の事業者の例を比較しているものであるとすれば,かかる裁量論を持ち出すこと自体失当である。
また,原判決が,いわゆる水準論を取っているとすれば,(「他の交通事業者等の設置管理するホームにおける設置状況と比較して,特異な設置方法であったとか,視覚障害者のホームからの転落防止設備として特に劣っていたものとは認められない」との原判決の文言(52頁)からは,かかる解釈の方が自然であろう),水準論をとること自体が,本件問題状況を曖昧なものにしていることは,既に何度も述べている通りである。
いずれにせよ,本件において,他の事業者との比較において,被控訴人のホーム設備状況が「特に劣っていたものとは認められない」との主張は,被控訴人のホーム設置管理上の瑕疵を判断する上で考慮されるべきものではない。
(2) 個別の設備毎に分割して判断する手法自体の誤り
被控訴人は,準備書面(14)において,縁端警告ブロック,立入禁止柵,転落防止柵の3つの設備ごとに,それぞれ他の事業者との比較を行い,その結果として,大阪市の設備が「決して劣っているものではない」と結論づけている。
しかしながら,駅ホームの各設備ごとに分断して,瑕疵の有無を判断することは妥当ではない。何故なら,視覚障害者の歩行の安全は,個々の警告ブロックや転落防止柵のみによって確保されるものではなく,物的設備全体さらには駅員による人的対応も含めた,その駅全体が有する安全性により確保されるべきものだからである。
したがって,駅に何らかの安全設備を設置する上でも,物的設備及び人的対応を含めた駅全体として,視覚障害者の安全が確保されているかが考慮されなければならないのである。
しかるに,本件事故に関して言えば,転落防止柵については,被控訴人は一貫して「5メートル基準」にこだわり,本件事故ホームに転落防止柵を設置することは出来ないと主張している。かかる主張は,駅全体として如何に視覚障害者の安全を確保し,転落事故を防止するかという視点を欠くばかりか,各設備毎の設置基準に無批判に従っておれば足りるとする,被控訴人の安易な姿勢が露呈していると言わざるを得ない。
この点,田宮証人は,「交通局としてはやはりここは危険性が高いと思われる箇所については,5メートルにはさほどこだわらずに転落防止柵を設置している。」(田宮証言・11頁)と証言しており,この証言を推し進めれば,本件事故現場のように,警告ブロックもホーム終端柵もないところでは,視覚障害者が転落する危険が高いので,転落防止柵を設置することになる筈である。
なお,被控訴人は,他事業者との比較をするに際しても,点字ブロック,転落防止柵,立入禁止柵を個別に切り離して調査するのみで,転落防止柵と警告ブロックの連携を意識した調査を行っておらず,転落防止柵と警告ブロックの両者が相俟って安全が確保されているという認識を完全に欠いているというほかない。
(3) ハード面のみでの比較が無意味であること
前記のとおり,視覚障害者は,ホーム上を歩行するときに際して,専らハード面の物的設備のみに依存して自らの安全を確保するわけではない。駅員による個別の対応によって,転落事故を免れ,安全が確保される場合があることは言うまでもない。
控訴人が準備書面(控訴審第1回)において主張したように,例えば近畿日本鉄道においては,ハード的設備においてはそれほど充実しているとは言えないものの,駅員による人的対応というソフト面においては,極めて優れたマニュアルを有しており,視覚障害者の歩行の安全にもかなりの程度配慮されていると言える。従って,単にハード的設備のみを比較することは,視覚障害者の歩行の安全を判断する上では極めて不十分というほかない。
実際,横浜市営地下鉄及び名古屋市営地下鉄については,両者とも内部において,駅員向けのかなり詳細な手引きマニュアルが作成され,実践されていたことが判明した(甲第68号証(横浜),甲69号証(名古屋))。
この点,「ひとこえかけて運動」が全く有名無実化していた大阪市営地下鉄と比べて,その違いは歴然としていると言えよう。
3 設置状況
被控訴人の述べるような他の事業者との比較という視点を採ったとしても,被控訴人の挙げる名古屋市営地下鉄東山線及び横浜市営地下鉄1番線,3番線におけるホーム状況に比べて,本件事故ホームの点字ブロック,柵の敷設状況が著しく劣っていることは明らかである。
(1) 名古屋市営地下鉄東山線
たしかに,名古屋市営地下鉄東山線には,ホーム終端部分に転落防止柵が設置されていない駅が数多く見受けられるようである。ホーム終端部分の転落防止柵の存在は,視覚障害者の安全な歩行にとって極めて重要なものであり,到底その不備を見逃すことは出来ない。
しかしながら,被控訴人も認めるように,名古屋市営地下鉄東山線においては,ホーム縁端警告ブロックは,すべてホーム終端部まで途切れることなく直線敷設されており,この点を考え併せるならば,名古屋市営地下鉄東山線の状況は,決して推奨できるものとは言えないが,当時の本件事故ホームの状況と比して視覚障害者にとっての安全性が十分に勝っているものと言えるのである。
視覚障害者は,転落防止柵もしくは点字ブロックにより,そこがホームの縁端部であること,それ以上ホーム側を歩くことが危険であると認識できる。視覚障害者にとって,駅ホームとはまさしく「欄干のない橋」と言うべきものであるが,警告ブロックもしくは転落防止柵が命綱になっているのである。
従って,転落防止柵及び警告ブロックが共に設置されていない部分が少しでも存在すれば,視覚障害者にとって,その部分(危険空間)からホームに転落する危険性が極めて高度に認められる。
かかる危険空間の危険性については,これまでも,関西Student Library等の視覚障害者団体が繰り返し,被控訴人に対し訴えているところである(乙第73号証)。
田宮証人も,「転落防止柵も警告ブロックもないという部分をホームの終わりの部分に作るのは危険である」と証言していたことからすると(田宮証言21頁),被控訴人も同様の認識を持っていたことは明らかである。
本件事故も,天王寺駅ホームに,かかる危険空間が存在したことから生じたものであることは,これまでも控訴人が何度も主張してきたとおりである。本件駅ホームでは,当時,ホーム終端部分には警告ブロックも転落防止柵もない空間が5メートル近くも存在していたのである。
そして,かかる危険空間の存在という観点からすれば,少なくとも名古屋市営地下鉄東山線の各駅ホームにおいては,本件事故当時の大阪市営地下鉄天王寺駅ホームよりは安全であるといえるのである。視覚障害者の歩行の安全については,転落防止柵,点字ブロック等の設備を別個ばらばらに検討するのではなく,設備全体として安全が確保されているかという観点から見なければならない。点字ブロックや転落防止柵ごとに設置状況を調べ,それを総合的に考慮していない被控訴人の態度には,ホーム全体として安全な歩行が確保されているかという,視覚障害者の立場に身を置いた観点が全く欠けているものと言わざるを得ない。
以上のように,本件事故ホームは,名古屋市営地下鉄東山線のホームに比して視覚障害者の歩行のための設備の点で劣っていたことは明らかである。
(2) 横浜市営地下鉄1号線・3号線
たしかに,横浜市営地下鉄1号線・3号線においては,多くのホームにおいて,縁端警告点字ブロックはホームを囲い込むようにL字型に引かれているようである。
しかるに,横浜市営地下鉄においては,ほぼ全ての駅で立入禁止柵が設置されており,それは被控訴人も認めるところである。
本件事故ホームにおいては,本件事故当時も現在も,立入禁止柵が設置されていなかった。そして,もしも本件事故当時,事故ホームに立入禁止柵があれば,本件事故が防げたことも,これまで控訴人が何度も主張してきたとおりである。
また,上記したように危険空間との関係では,上記乙81号証の写真1,2,34,35,36,37,39では,点字ブロックのL字の底辺部分とほぼ接するように立入禁止柵が敷設されており,本件大阪市営地下鉄の事故ホームに比べて,視覚障害者が転落する危険性は格段に低いと言える。
以上のように,本件事故ホームが,横浜市営地下鉄1号線,3号線のホームに比して視覚障害者の歩行のための設備の点で劣っていたことは明らかである。
第2 基準変更とそれに基づく工事について
1 被控訴人の安全対策が不十分かつ遅きに失したこと
(1) 本件事故以前に,大阪市営地下鉄においては,ホーム終端部付近の,転落防止柵も縁端警告ブロックも存在しない部分(危険空間)から視覚障害者が転落する事故が繰り返し発生していた。従って,乗客の安全を確保する義務を負う被控訴人としては当然,かかる部分の危険性すなわちホームの瑕疵に対して早急に何らかの対策を講じなければならなかった。ところが,被控訴人は,特段の措置をとらないままかかる危険な状態を放置してきたところ,ついに平成7年6月24日には谷町線天王寺駅ホームにおいて,被害者の死亡という重大な結果を伴う視覚障害者の転落事故が発生したのである。
(2) 人命が失われるという最悪の結果が発生するまで,被控訴人が危険解消のための具体的な措置を講じなかったこと自体の責任が厳しく問われなければならないのであるが,現実に最悪の結果が生じた平成7年6月24日の時点に至っては,もはや危険の解消は,一刻の猶予も許されない状態にあった筈である。
然るに,当該事故の発生を受けて,被控訴人はようやく重い腰を上げ,かかる危険空間の解消に向けた動きを始めた。その具体的な動きとは,事故から1か月半以上も後の平成14年8月17日ころ,警告ブロックを転落防止柵に接続し,転落防止柵がない場合は,警告ブロックをホーム終端部まで延長する等の設置基準の変更を行うというものであった(乙61,田宮証言20頁)。
なお,被控訴人は,この基準変更を「従来の方法に安全上の問題を認めてなしたのではなく,試みになしたものである」旨主張する。この「試みに」論の非現実性は既に準備書面(控訴審第4回)により指摘したところであるが,仮に被告の「試みに」論のとおり,「安全上の問題を認めてしたのではない」のであれば,客観的に存在する問題点を認識しないこと自体がやはり厳しく非難されなければならない)。
この転落防止柵及び警告ブロック設置基準変更に基づく工事のスケジュールは,最も早い御堂筋線において,前記事故より4か月近くも後の平成7年10月19日着手と設定され,工事全体の完成に至っては,事故より1年半も後の平成8年11月30日と設定された(甲66)。
かかるスケジュールは全体として極めて緩慢なものと言わざるを得ず,現実に,被控訴人は,6月24日の事故に引き続く,本件事故を防ぐことができなかったのである。
(3) 上記基準変更とそれに基づく工事のスケジュールが緩慢なものとして非難に値するかどうかはさて措くとしても,少なくとも平成7年6月24日以降,又はどんなに遅くとも同年8月17日の基準変更以降は,被控訴人が,ホーム終端部に人命が失われかねない重大な危険があることを認識し,若しくは認識することは極めて容易であったから,変更工事が間に合わないのであれば工事完了までは駅係員による視覚障害者の誘導を徹底したり,駅ホームに立哨の人員を配置して監視体制を充実する等,最大限の危険防止措置を講ずるべきであったのであり,かかる措置が講じられなかったものである以上,本件ホームの設置管理の瑕疵の存在は明らかであるというべきである。
2 類似のホームへの転落防止柵の設置例について
被控訴人は従前から主張している「5m基準論」のなかで,「ホーム終端部に階段や改札口等の乗降設備がある場合」には5m基準の例外が認められるとしている。しかし,被告提出の乙27号証によれば,上記例外事由が存在しなくとも,5m基準に合致していないホームが散見される。かかるホームの中でも,特に,堺筋線南森町駅及び同線日本橋駅においてホーム終端部に設置されている転落防止柵については,相対式ホームの停止線からホーム終端壁までの距離が短く,終端部に乗降設備がない点,本件ホームに構造的に告示しているが,数十センチメートルの転落防止柵が設置され,5m基準の例外をなす状態になっている。しかも,かかる転落防止柵の設置は,上記設置基準変更による工事の一環として行われていることが明らかにされた。
この事実は,5m基準論自体の根拠が薄弱であることを如実に示すものであることは勿論,上記設置基準の変更は被控訴人の危険空間の危険性の認識に基づいて行なわれこと,本件ホームにおいても同様の転落防止柵設置が必要かつ可能であったことを示している。
本件ホームには,被控訴人が自らの落ち度を認めたと取られるのをおそれるためか,今もって転落防止柵の設置がなされていないが,本件ホームに両駅と同様の転落防止柵を設置することが出来ない理由はなく,また本件ホームに両駅と同様の転落防止柵が設置されていれば本件事故の発生を防ぐことが出来たことは明らかである。
以 上