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平成13年10月15日判決言渡 同日原本領収 裁判所書記官
平成11年(ワ)第3638号損害賠償請求事件
口頭弁論終結日 平成13年7月23日
判決
大阪市東住吉区中野2−5−3−201 原告 佐木理人 |
訴訟代理人 弁護士 |
竹下義樹 |
同 | 岸本達司 |
同 | 神谷誠人 |
同 | 坂本 団 |
同 | 下川和男 |
同 | 高木吉朗 |
同 | 山之内 桂 |
同 | 伊藤明子 |
大阪市北区中之島1丁目3番20号 被告 大阪市 |
訴訟代理人 弁護士 |
飯田俊二 |
同 | 川口俊之 |
主 文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1 請求
被告は,原告に対し,4838万4250円及びこれに対する平成7年10月21日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
本件は,視覚障害者である原告が,大阪市営地下鉄御堂筋線天王寺駅なかもず方面行きホーム上において,発車直後の地下鉄車両と接触して線路脇に転落した事故により被った損害につき,被告に対し,選択的に,
@上記ホームの設置又は管理に瑕疵があるとして,国家賠償法2条1項に基づく損害賠償,
A被告の担当公務員に上記ホームの設置又は管理に過失があるとして,同法1条1項に基づく損害賠償,
B旅客運送契約上の安全配慮義務に違反したとして,商法590条1項に基づく損害賠償を各請求(遅延損害金は,本件事故発生の日である平成7年10月21日から支払済みまで民法所定年5分の割合による。)した事案である。
1 争いのない事実及び証拠により容易に認定できる事実(証拠により認定する場合には,末尾の括弧内に証拠を掲記する。)
(1) 当事者
原告(昭和48年10月30日生)は,生まれつき両眼に先天性緑内障の視覚障害を有し,弱視であったところ,その後,次第に視力が低下していき,平成5年ころには全盲の状態となった(甲37,38)。
被告は,大阪市営地下鉄の設置,運営をしている地方公共団体であり,大阪市営地下鉄御堂筋線天王寺駅の設置,管理をしているものである。
(2) 事故(以下「本件事故」という。)の発生
ア 日時 平成7年10月21日午後10時ころ
イ 場所 大阪市営地下鉄御堂筋線天王寺駅(以下「天王寺駅」という。)なかも ず方面行きホーム
以下「本件ホーム」という。)付近
ウ 事故態様 本件ホーム上を歩行していた原告が,進行中の地下鉄車両(以下「本件 車両」という。)と接触して,線路脇に転落した。
(3) 原告と被告との間の旅客運送契約の成立
本件事故当時,原告と被告との間には,旅客運送契約が成立していた。
(4) 傷害
原告は,本件事故により,左大腿骨骨折,左上腕骨骨折,頭部挫創等の各傷害を負った(乙49)。
2 争点及び争点に対する当事者の主張
本件の争点は,(1)責任の有無,(2)因果関係の有無,(3)後遺障害の内容・程度,寄与度減額の可否,(4)損害,(5)過失相殺の可否である。
(1) 責任の有無
(原告の主張)
ア 本件訴訟は,点字ブロック等が一応普及した現状においても,視覚障害者の歩行の安全に対しては十分な配慮がなされておらず,危険な状況が放置されていることにかんがみ,視覚障害者の立場に立った安全確保のため,更に施設等の改善が必要であることを訴えるとともに,本件事故により被った原告の被害の救済を求めるものであり,憲法13条に定める個人の尊厳,同法22条1項に定める移転の自由及び同法25条に定める生存権の保障に立脚するものである。
被告は,交通施設を設置する地方公共団体として、視覚障害者を始めとする障害者の安全確保のために,積極的な施策を講じるべき責務が課せられているにもかかわらず,被告の設置する各公共交通施設には,物的設備及び人的設備ともに様々な問題点が存在し,視覚障害者のための安全設備,対策の現状は極めて不十分である。
イ 本件ホームの設置又は管理の瑕疵(国家賠償法2条1項)
本件事故当時,本件ホーム東側終端部付近には,ホーム縁端部から一定の間隔をおいてホーム縁端部と並行して設置すべき視覚障害者の転落防止用の柵(以下「転落防止柵」という。)及びホーム終端部まで延長すべき警告ブロックが設置されておらず,あるいは,警告ブロックと転落防止柵を連続して設置しておらず,視覚障害者に対し,ホーム縁端部であることを表示して,転落を防止する設備がなく,また,ホーム終端部にホーム縁端部と直角に設置すべき視覚障害者の転落防止用の柵(以下「立入禁止柵」という。)が設置されておらず,視覚障害者に対し,ホーム終端部であることを表示して,転落を防止する設備がなく,後記危険空間を放置していたのであるから,本件ホームの設置又は管理に瑕疵があった。
よって,被告には,国家賠償法2条1項に基づく損害賠償責任がある。
以下,その理由を詳述する。
(ア) 天王寺駅の状況
天王寺駅は,複数の鉄道路線と連絡しており、大阪都心部と大阪南部、奈良、和歌山等をつなぐ主要なターミナル駅となっており,駅及びその沿線には,複数の視覚障害者用施設が存在していた。
また,平成8年2月当時,天王寺駅の1日当たりの乗降客数は約20万4000人であり,大阪市営地下鉄において第4位の数であった。
したがって,天王寺駅は,他の駅と比較して視覚障害者の利用する頻度が相当高い駅であった。
(イ) 警告ブロック及び転落防止柵の不設置等の瑕疵
a 危険空間の存在
本件ホーム東側終端部付近には,ホーム終端部から約5.2メートルもの間,転落防止柵及ぴ警告ブロックが設置されていない危険空間が存在した。
このような空間は,視覚障害者がホーム縁端部を認識する手掛かりがない上,転落防止柵が設置されておらず,視覚障害者の転落を防止する設備が全くないことから,視覚障害者にとって転落の危険性が極めて高い危険な空間である。
b 本件事故以前における転落事故の発生
(a) 警告ブロック設置後の転落事故
昭和48年2月に発生した国鉄高田馬場駅における視覚障害者の転落事故を契機として,ホームに点字ブロックが設置されるようになり,全国的に普及していったにもかかわらず,視覚障害者団体等の調査によれば,点字ブロック設置後も視覚障害者の転落事故が頻発しており,被告を含む交通事業者等は,視覚障害者の転落事故が発生した際には,その事故原因,施設・設備の問題点等について検討の上,必要な改善を図るべき状況にあった。
(b) 大阪市営地下鉄における転落事故
大阪市営地下鉄においては,平成元年から本件事故発生日(平成7年10月21日)までの間に,視覚障害者のホームから軌道への転落事故が少なくとも25件は発生しており,そのうち,
@平成3年3月28日に発生した四つ橋線花園町駅ホームにおける転落事故,
A平成4年7月3日に発生した谷町線駒川中野駅ホームにおける転落事故,
B平成6年2月15日に発生した御堂筋線長居駅ホームにおける転落事故,
C同年12月5日に発生した四つ橋線西梅田駅ホームにおける転落事故,
D平成7年6月24日に発生した谷町線天王寺駅ホームにおける転落事故
は,いずれも,視覚障害者が,警告ブロック及び転落防止柵が設置されていないホーム縁端部から転落した事故であった。特に,平成6年2月15日,同年12月5日及び平成7年6月24日に発生した各転落事故は,本件事故と同様,視覚障害者が,ホーム終端部付近で警告ブロックが屈曲した部分を踏み越えて上記危険空間に入り込んだ結果,転落したと推測される事故であるから,被告としては,事故原因を調査した上で,設備の問題点等を検討し,事故の再発を防止するために可及的速やかに最大限の安全対策を講ずるべき状況にあった。
c 被告が危険空間の危険性を認識していたこと
被告においては,上記の各転落事故が内部的に報告され,特に,平成7年6月24日に発生した転落事故は,転落者が死亡した事故であったため,運転課長まで報告されている。
また,被告は,平成7年6月24日に発生した転落事故を契機として,同年9月までに,警告ブロック及び転落防止柵の設置基準を変更し,ホーム終端部付近に転落防止柵が設置されていない場合には警告ブロックをホーム終端部まで延長し,また,ホーム終端部付近に転落防止柵が設置されている場合には警告ブロックを転落防止柵に接続させることとした。このような設置基準の変更は,被告が,類似事故の発生により,ようやく上記危険空間を放置していたことの問題性を認識して,上記危険空間をできる限り少なくするという観点から行われたものであるから,被告は,本件事故までに,警告ブロック及び転落防止柵が設置されていない上記危険空間から視覚障害者が転落する事故の発生を予測し,その危険性が高いことを十分認識していたことが明らかである。
しかも,被告は,本件事故前の平成6年12月に,視覚障害者団体からホーム終端部に転落防止柵を設置するよう要請されたのであるから,本件ホームを含めて転落防止柵の設置を検討すべき状況にあった。
d 警告ブロック及び転落防止柵を設置することが容易であったこと
(a) 上記基準変更に伴う改修工事は,被告にとって,技術面,費用面で何らの困難を伴うものはなく,特に,警告ブロックの延長などは1日もあれば工事が完了する程度のものであった。また,天王寺駅は,大阪市営地下鉄において乗降客数が第4位の主要駅であり,多数の視覚障害者が利用していたから,優先的に改修工事が行われるべきであり,本件事故までに警告ブロックの延長設置工事を施工しなかったことを正当化する理由はない。
(b) 被告は,本件事故当時,列車前部の停止位置から前方5メートルの範囲内のホーム縁端部には,転落防止柵を設置しないという内部基準を設けていたようであるが,旅客の安全等を理由として,上記基準に例外を設けており,必ずしも統一的に運用していなかったことなどからすると,本件事故当時,被告において,上記の基準を遵守しなければならない理由はない。本件ホームは,列車前部の停止位置からホーム東側終端部まで約5.2メートルもの距離があったから,視覚障害者の安全を考慮すれば,数十センチメートルでも上記危険空間を少なくするために転落防止柵を設置すべきであった。
e 運輸省ガイドラインとの不適合
(a) ガイドラインの趣旨,法的性質
運輸省は,昭和58年3月に,身体障害者を主たる対象として,公共交通ターミナルにおける身体障害者用施設整備ガイドライン(以下「旧ガイドライン」という。)を策定し,さらに,平成6年3月に,高齢者及び身体障害者の安全及び身体的負担に配慮するため,交通事業者等が公共交通ターミナルの施設を整備し,かつ行政が交通事業者等を指導する指針として、公共交通ターミナルにおける高齢者・障害者等のための施設整備ガイドライン(以下「新ガイドライン」という。)を新たに策定した。
新ガイドラインは,その策定の背景事情,調査研究の経過及び策定された指針の内容にかんがみると,高齢者,障害者が利用する公共交通ターミナル施設として通常有すべき安全性及び利便性に関する標準的な水準を示したものであり,将来的な整備を想定した参考事例的施策部分と,策定時現在における施設整備の標準事例的施策部分とを明確に区別して記載している。
そして,標準事例的施策部分(警告ブロックの敷設及び転落防止柵の設置が含まれる。)は,安全性確保のための通常有すべき施設設備の標準を示しているというべきであるから,この定めに沿わない施設設備には,設置,管理の瑕疵があり,通常有すべき安全性を欠いているものと推認される。仮に,新ガイドラインに違反することから当該営造物の瑕疵が直ちには推定されないとしても,少なくとも当該営造物の瑕疵を基礎付ける重要な要素となることは明らかである。
また,当該施設設備の置かれている状況等から新ガイドラインに適合した設備の設置が困難であるなどの特別の事情がある場合には,安全性を確保するために,人的,物的代替的措置を講じる必要があり,代替的措置を講じていないのであれば,瑕疵があるというべきである。
(b) 新ガイドラインの内容との不適合
新ガイドラインによれば,視覚障害者の安全性及び利便性を確保するための標準事例的施策指針として,ホームの縁端は,警告ブロックを設置して危険を防止すると記載され,点字ブロックの技術標準については,プラットホームは縁端部の危険表示として,警告ブロックを縁端から80センチメートル以上の位置に,幅30センチメートル又は40センチメートルで連続して設置することが望ましいと記載されている。
したがって,新ガイドラインは,ホーム縁端部に設置した警告ブロックを,ホーム終端部まで連続して設置することを標準的技術水準として定めているのである。
また,新ガイドラインには駅ホームの姿図等が掲載されているが,同図では,ホーム終端部において,ホーム縁端部に設置された警告ブロックに連続する形で転落防止柵が設置されている。これは,警告ブロックと転落防止柵を接続して設置することにより上記危険空間をなくす若しくはできるだけ少なくすることが望ましいものとして示したものである。
ところが,被告は,何らの合理的理由なく,本件ホーム東側終端部付近に警告ブロックを設置せず,警告ブロックと転落防止柵を接続して設置しておらず,本件ホームは,新ガイドラインの定めに反し,標準的な技術的安全性を有していなかったから,被告の本件ホームの設置又は管理に瑕疵があったことを推定させるものであり,少なくともその瑕疵を基礎付ける一要素になる。
f 以上からすると,本件事故現場付近には,視覚障害者の転落事故を防止するために警告ブロックをホーム東側終端部まで延長して設置するか又は転落防止柵を設置すべきであった,あるいは,警告ブロックと転落防止柵を接続する形で設置すべきであったのに,被告は,これらを設置せずに,危険空間を放置していたのであるから,本件ホームの設置又は管理に瑕疵があったというべきである。
(ウ) 立入禁止柵の不設置
a 危険空間の存在
本件ホーム終端部には,立入禁止柵が設置されておらず,視覚障害者に対して,ホーム終端部であることを表示し,転落を防止する設備が設置されていなかった。
本件ホーム東側終端部の壁は,本件ホームの階段の裏側の壁と同種の材質であり,視覚障害者が触知した際に,階段の裏側とホーム終端部との区別が付かず,また,ホーム終端部の壁の南端とホーム縁端部との間には約40センチメートルの間隔が空いていたから,視覚障害者がホーム終端部であることを認識できないまま進み,そこから転落する危険性があった。
b 建築限界との関係
普通鉄道構造規則においては,旅客が窓から身体を出すことのできない構造の車両のみが走行する区間にあっては,建築限界を20センチメートルとすることが可能とされており,実際に,東京都,京都市,名古屋市の各交通局では建築限界を20センチメートルとしているから,被告においても,建築限界を20センチメートルとすることは十分可能であった。
しかも,被告においては,立入禁止柵とホーム縁端部との間が明らかに40センチメートル以下であるホームが存在しており,本件ホームにおいても立入禁止柵を設置することは可能であった。
c 運輸省ガイドラインとの不適合
新ガイドラインにおいては,ホームにおける技術的標準として,ホーム両側終端部には危険を防止するために,高さ110ないし150センチメートル程度の柵を設ける旨記載されている。
ところが,本件事故現場付近の本件ホーム終端部には,立入禁止柵は設置されておらず,立入禁止柵を設置しないことに合理的理由はないから,本件ホームは,新ガイドラインの定めに反し,標準的な技術的安全性を有していなかった。
d 以上からすると,本件ホーム東側終端部には,立入禁止柵を設置すべきであったのに,被告は,立入禁止柵を設置しなかったのであるから,本件ホームの設置又は管理に瑕疵があったというべきである。
(エ) 人的な安全対策の欠如
本件事故当時,本件ホームには監視の駅員の立哨はなかった上,本件事故当日,原告が乗車した御堂筋線梅田駅の改札係員が,原告が改札を通過したことを確認しておらず,視覚障害者に対して声を掛けることが徹底されていなかったなど視覚障害者に対する人的な安全対策は全く欠如していた。
このように,人的な安全対策が欠如していたことは,上記の本件ホームの設置又は管理の瑕疵と相まって,本件ホームの設置又は管理に瑕疵があったことを基礎付ける要素となる。
ウ 旅客運送契約上の安全配慮義務違反(商法590条1項)
本件事故当時,原告と被告との間には,旅客運送契約が成立していたから,運送人である被告としては,物的,人的設備について万全の措置を講じて,旅客である原告を安全に運送すべき安全配慮義務を負っていたにもかかわらず,これを怠り,上記のとおり,漫然と本件ホームの設置又は管理の瑕疵を放置し,物的安全設備の瑕疵を補う職員配置も行わなかったものであるから,被告には,旅客運送契約上の安全配慮義務の不履行が存し,商法590条1項に基づく損害賠償責任がある。
(被告の主張)
ア 視覚障害者に対する施設整備状況
大阪市営地下鉄においては,すべての駅構内に警告ブロック及び誘導ブロックを設置した上,触知図や点字料金表を設置し,自動的に列車の接近を知らせる警告放送を流していた。また,介護者等の付き添いのない高齢者や障害者等に対しては,駅員が改札口で一声かけて行き先の案内や乗降の介助を行った上,降車予定駅に連絡して,降車後の介助を行っていた。
このように,大阪市営地下鉄においては,ハード面,ソフト面の両面において,視覚障害者の安全な利用と便利を図っていた。
イ 本件ホームの設置又は管理の瑕疵について(国家賠償法2条1項)
本件事故当時,本件ホーム東側終端部付近のホーム縁端部に転落防止柵を設置していなかったこと,警告ブロックをホーム東側終端部まで連続して設置していなかったこと,ホーム東側終端部に立入禁止柵を設置していなかったことは,原告の主張するとおりであるが,これをもって,ホームの設置又は管理の瑕疵があったとはいえない。
よって,被告には,国家賠償法2条1項に基づく損害賠償責任はない。
以下,その理由を詳述する。
(ア) 転落防止柵の設置について
a 大阪市営地下鉄の設置基準が合理的であること
(a) 平成7年9月以前の設置基準
大阪市営地下鉄では,駅舎の特性,ホームの形状,編成車両とその時間的変化,乗客数,乗降客の移動方向,地下鉄車両の制動特性等を考慮して,原則として,列車前部の停止位置前方約5メートル,列車後部から後方約5メートルの範囲内には,転落防止柵を設置しないこととしていた。
(b) 平成7年9月以降の設置基準
平成7年6月24日に大阪市営地下鉄谷町線天王寺駅において発生した転落事故を契機として,同年9月に,上記基準を変更し,原則として,列車前部の停止位置前方約5メートル,列車後部から後方約1メートルの範囲内には,転落防止柵を設置せず,その範囲内においては,停止車両を移動させることなく旅客の乗降ができるようにしていた。その理由は,地下鉄車両の特性として,必ずしも停止位置で停止することができず,停止位置を越えて停止する過走が不可避的に生じるが,その際,列車を停止位置まで後退させるためには,ホーム上で待機していた旅客の安全確保のため,いったん旅客を車両から遠ざけた上で,後退させる必要があるところ,いわゆるラッシュ時には乗降客が非常に多く,かつ,過密ダイヤで運行しているため,列車を後退させる措置を執っていると,たちまちホーム上に旅客があふれる状態が生じるから,列車が停止位置を多少越えて停止したときでも,列車を後退させることなく旅客の乗降が可能な配慮をせざるを得ないからである。
したがって,大阪市地下鉄では,列車が停止位置を越えて停止した時にも,列車を後退させることなく,旅客の安全かつ円滑な乗降を図り,ダイヤの運行を確保して,多量・高速交通機関としての機能を発揮するとともに,視覚障害者に対する配慮も考慮して,原則として,列車前部の停止位置前方約5メートル,列車後部から後方1約1メートルの範囲内には,旅客の乗降の妨げとなる転落防止柵を設置しないこととしたものである。
ただし,ホーム終端部や停止位置付近に改札口,乗降階段,エスカレーター,エレベーター等が存し,ラッシュ時の際などに旅客がホーム上にあふれて押されることにより,ホーム上から転落する高度の危険性があるところでは,旅客の安全な乗降を確保するため,列車前部の停止位置前方約5メートルの間隔を空けずに転落防止柵を設置している。
なお,大阪市営地下鉄の中でも,旅客数の増加に対してホームの延長等の工事が間に合わず,急遽,車両数の増加で対応したため,増両した車両との関係で,やむを得ず列車前部の停止位置前方約5メートルの範囲内に転落防止柵が設置されている箇所もある。
もともと当該箇所に転落防止柵を設置すべきか否かは,転落防止柵の設置の目的と列車の停止性能からみた旅客の安全及び円滑な乗降の利益を対比して総合考慮すべきであるところ,大阪市営地下鉄では,一方で,警告ブロックを直角に線路反対側へ曲げて視覚障害者を危険から遠ざける措置を執り,かつ,駅員の案内,誘導により,視覚障害者の転落防止を図っているのであり,このような考慮に基づく転落防止柵の設置基準は,視覚障害者の安全にも最大限配慮しつつ,旅客の安全及び円滑な乗降にも配慮したものであり,合理的というべきである。
(c) 本件ホーム東側終端部に転落防止柵が設置されていない理由
本件ホームの東側終端部及び停止位置付近には,改札口,乗降階段,エスカレーター,エレベーター等の設備はなく,ラッシュ時に旅客がホーム上にあふれて押されることにより,ホーム上から転落する高度の危険性はないから,列車前部の停止位置前方に約5メートルの間隔があるが転落防止柵を設置していないのであり,これをもって本件ホームの設置又は管理に瑕疵があるとはいえない。
b 新ガイドラインとの関係
新ガイドラインは,現在及び将来における交通事業者等の施設整備の一応の指針を定めたものにすぎないから,法律上の拘束力を有するものではなく,交通事業者等に対し,既存の設備を新ガイドラインの記載どおりに直ちに変更する法的義務を課すものではない。
新ガイドラインは,その記載において,「標準」又は「望ましい」などの文言が使用されているように,交通施設整備の一応の指針を定めたものであり,各交通事業者等において,駅舎の形状,ホームの形状,車両編成数,旅客数等の諸事情を考慮して,新ガイドラインの記載とは異なる扱いやこれに記載のない事柄についての独自の扱いをすることを容認している。
したがって,新ガイドライン記載の技術的標準に適合しないからといって,直ちに通常有すべき安全性を欠くことにはならないのみならず,被告は,上記のような考慮に基づいて転落防止柵の設置基準を設けたものであり,同設置基準は,新ガイドラインの趣旨に反するものではない。
(イ) 立入禁止柵の設置について
a 本件ホーム東側終端部に立入禁止柵を設置していない理由
本件ホーム東側終端部は壁になっており,さらに,壁の南端から幅約6センチメートルの立入禁止札が設置されているため,ホーム縁端と立入禁止札との間の空間は約34ないし40センチメートルにすぎない。
このような狭い場所には通常旅客が立ち入ることはないため,立入禁止柵を設置していないし,仮に視覚障害者が誤って立ち入ったとしても,白杖又は手足等の身体を壁に当てるなど周囲を触ることによりホーム縁端部や終端部を覚知できるし,他に,列車の音,構内放送,進行している列車の風圧等により危険を覚知することも可能である。
b 建築限界
普通鉄道構造規則においては,車両の窓の側方となる箇所においては,建築限界と車両限界の基礎限界との間隔を20センチメートルないし40センチメートル以上としなければならない旨規定されている。
(ウ) ホーム終端部まで警告ブロックを延長することについて
a 新ガイドラインの技術的標準
新ガイドライン記載の姿図や鉄道ターミナルモデル図によれば,ホーム縁端部に沿って,ホームを内側に囲い込む形で警告ブロックが設置されている。
b 新ガイドラインに適合していること
本件ホーム東側終端部においては,警告ブロックを終端部まで連続して設置しないで、途中でホーム縁端部と直角に北側へ向けて屈曲させている。
新ガイドラインの姿図や鉄道ターミナルモデル図においては,島式ホームを念頭に置き,島式ホームではホーム両側縁端部から転落の危険性があるため,警告ブロックをホーム内側を囲い込む形で記載している。
本件ホームは相対式ホームであり,ホーム縁端部と反対側は壁であるから,転落する危険性がないため,警告ブロックでホーム内側を囲い込む必要はなく,警告ブロックを線路と反対側へ直角に屈曲させてホーム北側の壁まで延ばして接続させたのであり,この設置方法は新ガイドラインの趣旨に反するものではない。
c 本件事故前には,ホーム縁端部の警告ブロックをホーム終端部まで延長する旨の要請はなかった。
(エ) 他の交通事業者等の設置状況
他の交通事業者等の転落防止柵,立入禁止柵及び警告ブロックの設置状況は,事業者及び駅により区々であり,それらの設置状況と大阪市営地下鉄の設置状況とを比較すると,大阪市営地下鉄の設置状況は,他の交通事業者等の設置状況よりも整備が進み,かつ,種々の要請を調整した合理性のある設置方法を採用していたものである。
(オ) 原告の過失
本件事故は,以下のとおり,原告の依頼した介助者の過失,原告の乗車特性の無視,環境認知不十分,不用意な行動という過失により生じたものである。
a 介助者の介助の不適切
原告は,本件事故に遭う前に,ゼミの友人とともに御堂筋線梅田駅の改札口を通過したものであるから,原告に付き添った友人である晴眼者は,当初から天王寺駅まで乗車する予定がなかったのであれば,駅員にその旨を告げて案内を求めるか,原告がいつも乗車している位置まで誘導して乗車させるべきであるのに,これを怠ったため,原告が天王寺駅での降車位置を間違ったものであり,原告の補助者による過失であり,ひいては,原告が乗車位置を確認しなかったものとして,原告の過失でもある。
b 乗車特性の無視
原告にとっては,列車の乗車位置は,降車後の本件ホームにおける歩行方法を決めるに当たって極めて重要なことであったし,原告は,本件事故前に,天王寺駅の歩行訓練を受け,本件事故まで4,5回利用した際には,歩行訓練を受けたルートを歩行するなど,天王寺駅を利用する際に,列車の乗降位置を決めていたのであるから,降車後に適正な歩行方法をする注意義務のみならず,乗車時に自己の乗車位置を確認すべき注意義務があったにもかかわらず,本件では,これを怠り,自己の歩行特性を忘れて,いつもの乗車位置と異なるところから乗車した過失がある。
c 環境認知の不十分
原告は,天王寺駅に視覚障害者用の天王寺駅構内案内図が備えられていたにもかかわらず,これらを事前に調べず,同駅の構造を把握しなかった過失がある。
また,本件事故当時,原告は,本件ホームに設置された警告ブロックを重視せず,白杖を使用しての触覚による環境認知を軽視していた上,列車から降車した旅客の流れがなくなったことを理解しておらず,自己の約1メートル右側を走行する列車の音,風等による環境認知も十分行わなかった過失がある。
d 不用意な行動
視覚障害者にとっては,ホーム上において警告ブロックが触知できなくなったこと自体が危険表示であるから,その場合には進行を一時停止して白杖や足等で警告ブロックその他の表示を探して,それらを触知できなければ,その場で助力を求めて待つか,列車の進行音,構内放送,歩行音,列車の進行に伴う風の方向等で,安全な方向を確認してから進行すべきである。
原告は,ホーム縁端部に設置されていた警告ブロックを触知できなくなったときは停止すべきであったにもかかわらず,警告ブロックを触知できなくなった後も,警告ブロックを探そうとすることなく,そのまま約5メートル以上も歩行を続けた過失がある。
また,原告は,ホーム東側終端部に至り,白杖により壁の存在を確認したのであるから,ホーム縁端部との距離を調べるなどして安全を確認した後,右側へ移動すべきところ,本件ホーム東側終端部の壁を,階段の裏側の壁である旨軽信して,白杖を使用して警告ブロックの有無やホーム縁端部との距離などを確認することなく,かつ,進行中の列車により音や風が発生している右側へ漫然と移動した過失がある。
ウ 旅客運送契約上の安全配慮義務違反(商法590条1項)について
(ア) 本件ホームにおける駅員等配置
大阪市営地下鉄では,本件ホームには,午後2時から午後7時30分まで駅員を配置し,午後5時から午後5時30分まで及び午後11時から午前0時30分まで助役等を配置していた。
被告においては,限られた人的資源をすべての駅のすべてのホームに,常時配置することは不可能であり,乗降客の数,流れ,列車の本数,編成車両数,当該駅の地理的状況,配置可能な駅員数,ホーム配置に替わる改札口駅員による対応の可能性等を総合考慮して,乗降客の多い時間帯と終列車近くで駆け込み乗車の危険性の高い時間帯に駅員,助役等を配置したのであり,これは,合理的な人員配置であったというべきである。
(イ) ひと声かけて運動
大阪市営地下鉄では,昭和54年ごろから,障害者の安全な乗車のために駅員に対して,視覚障害者を改札口付近で見かけた場合には,ひと声かけて,案内を依頼された場合にはホームまで案内し,列車への乗車を確認後、降車予定駅に当該列車の到着時刻及び乗車位置を連絡して,連絡を受けた降車予定駅の駅員は,ホームで視覚障害者を迎えて案内するように指導していた。
(ウ) 音声による情報提供
駅ホームにおいては,列車の接近予告及び到着告知を自動による構内放送で旅客に知らせていた。
(エ) 点字による駅形状等の情報提供
大阪市営地下鉄では,地下鉄点字構内案内図を作成して視覚障害者の各訓練施設に配布することで,視覚障害者が駅構内の構造をあらかじめ知ることができるようにしており,駅には地下鉄駅構内案内触知図(音声案内付)等を設けていた。
(オ) まとめ
以上のように,大阪市営地下鉄においては,視覚障害者の安全確保に最大限配慮しつつ,旅客の安全及び円滑な乗降にも配慮していたこと,上記のとおり,本件ホームの設置又は管理の瑕疵はないこと,本件事故は上記のとおり原告の視覚障害者としての乗車特性の無視,環境認知の不十分,不用意な行動という過失により発生したものであることなどからすれば,被告に,旅客運送契約上の安全配慮義務の不履行はない。
(2) 因果関係の有無
(原告の主張)
本件事故態様及び原告の歩行状況にかんがみると,警告ブロックが本件ホーム東側終端部まで接続して設置されていれば,原告が本件ホーム東側終端部の壁を回り込もうとした際に,原告が所持していた白杖や足などにより警告ブロックを触知することでホーム縁端付近であることに気付いたから,本件事故が発生しなかったことは明らかである。
また,本件ホーム東側終端部付近に転落防止柵が設置されていたか,警告ブロックと転落防止柵が接続して設置されていれば,原告の所持していた白杖が転落防止柵に触れることによりホーム縁端付近であることに気付き,原告は,それ以上ホーム縁端方向へ移動することはなかったし,転落防止柵により防護されることで,本件事故が発生しなかったことは明らかである。
同様に,本件ホーム東側終端部に立入禁止柵が設置されていれば,原告の所持していた白杖が立入禁止柵に触れることによりホーム終端部であることに気付き,原告は,それ以上ホーム終端方向へ移動することはなかったし,立入禁止柵により防護されることで,本件事故が発生しなかったことは明らかである。
以上のように,本件ホームの設置又は管理の瑕疵若しくは被告の安全配慮義務違反と本件事故発生との間には因果関係がある。
(被告の主張)
上記のとおり,本件事故は,原告の乗車特性の無視と環境認知不十分,不用意な行動という過失により発生したものであり,本件ホームの設置又は管理の瑕疵若しくは被告の安全配慮義務違反により発生したものではないから,因果関係はない。
(3) 後遺障害の内容・程度,寄与度減額の可否
(原告の主張)
原告の上記傷害は,平成10年3月3日に症状固定したが,原告には,本件事故により,左手指の固定,左手足の神経症状(知覚低下),左膝・左股関節の可動域制限,左上下肢の筋力低下,左下肢の短縮,左上腕部・左大腿及び頭頂部の手術醜状痕等の各後遺障害が残った。
原告は,左手指の固定,左手の神経症状により,点字の判読やタイプライターによる筆写が極めて困難になったが,これらの後遺障害は,左上肢の筋力低下等と併せて,後遺障害別等級表(以下「等級表」という。)10級10号「一上肢の三大関節中の一関節の機能に著しい障害を残すもの」に該当する。
また,左膝・左股関節の可動域制限,左下肢の筋力低下等は,等級表10級11号「一下肢の三大関節中の一関節の機能に著しい障害を残すもの」に,左下肢の短縮は,等級表13級9号「一下肢を1センチメートル以上短縮したもの」に,上腕・大腿及び頭頂部の手術醜状痕は,等級表14級4号「上肢の露出面に手のひらの大きさの醜いあとを残すもの」及び同級5号「下肢の露出面に手のひらの大きさの醜いあとを残すもの」にそれぞれ該当する。
さらに,原告は,本件事故当時,視力障害のため,読み書きは点字を中心としていたところ,左橈骨神経麻痺は,日常生活の重大な支障となっている。
以上の後遺障害を併合すると,原告の後遺障害は,等級表9級に相当するものである。
原告の左大腿部の再骨折と本件事故との間には相当因果関係があるし,また,原告には,寄与度減額の根拠となり得る素因は存在しなかった。
(被告の主張)
原告の症状は,平成8年12月11日に症状固定した。
原告の後遺障害は,左下肢の1センチメートルの短縮障害及び極めて軽微な左橈骨神経麻痺のみである。
原告には,左股関節,左膝関節の可動域制限はない。
原告の左下肢の2センチメートルの短縮障害は,平成9年2月22日ごろ,既に症状固定していた左大腿骨を再骨折したことに起因する後遺障害であり,本件事故との相当因果関係はない。
仮に,左大腿骨再骨折後の治療及び症状と本件事故との間に相当因果関係があるとしても,原告の体質,医師の指示不適切等を考慮して,相当の寄与度減額を行うべきであるし,左下肢の短縮は,左大腿骨の再骨折に起因する後遺障害であるから,相当の減額を行うべきである。
(4) 損害
(原告の主張)
ア 入院雑費 45万3700円
入院雑費は,本件事故による入院期間349日(平成7年10月21日から平成8年5月31日までの223日間及び平成9年2月10日から同年6月15日までの126日間の合計)につき1日当たり1300円が相当である。
イ 逸失利益
(ア) 卒業遅延による逸失利益 652万3800円
原告は,本件事故当時,神戸市外国語大学の学生であったところ,本件事故により,2年間の留年を余儀なくされた結果,卒業が遅れ,就職の機会を逸した。したがって,初任給相当額である平成8年賃金センサス・男子労働者・学歴計・年齢別(20ないし24歳)平均賃金である年収326万1900円の2年間分が卒業遅延による逸失利益となる。
(イ) 後遺障害逸失利益 2100万6750円
原告は,平成11年4月に神戸市外語大学大学院に入学しており,平成13年3月に同大学院を卒業して,同年4月に就職する予定であるから,本件事故に遭わなければ,平成13年4月(原告27歳)から,67歳になるまでの40年間にわたり稼働して,平成8年賃金センサス・男子労働者・学歴計・年齢別(20ないし24歳)平均賃金である年収326万1900円の収入を得ることができたところ,原告には,本件事故により,等級表9級相当の後遺障害が残り,67歳までその労働能力を35パーセント制限されたのであるから,労働能力喪失期間40年間につき,中間利息を新ホフマン方式(係数23.5337−5・1336=18.4001)により控除すると,原告の後遺障害逸失利益は,2100万6750円となる。
ウ 慰謝料 1600万円
(ア) 入通院慰謝料 800万円
原告は,本件事故により,本件事故の日である平成7年10月21日から平成10年4月7日まで約12か月間の入院生活及び約17か月間の通院生活を余儀なくされたのであり,その慰謝料としては,800万円が相当である。
(イ) 後遺障害慰謝料 800万円
原告には,本件事故により,等級表9級相当の後遺障害が残ったのであるから,その慰謝料としては,800万円が相当である。
工 弁護士費用 440万円
弁護士費用としては,440万円が相当である。
(被告の主張)
原告の後遺障害のうち,その労働能力に影響を及ぼすものは,左下肢の1センチメートルの短縮障害のみであり,労働能力喪失率は9パーセントである。
その他の損害については,不知ないし否認する。
(5) 過失相殺の可否
(被告の主張)
仮に,被告に損害賠償責任が存するとしても,上記のとおり,原告には,乗車特性の無視と環境認知不十分,不用意な行動という過失が存し,これが本件事故の発生原因となったから,少なくとも8割の過失相殺がなされるべきである。
(原告の主張)
原告には,列車乗車時に,自己の乗車位置を確認すべき義務,天王寺駅構内の構造を把握しておくべき義務はない。
本件事故当時,原告が,本件ホーム縁端部の警告ブロックが北側へ向かって屈曲した部分を通り越したことは,屈曲部分に警告ブロックが一重にしか設置されていなかったことからすると,原告の過失ではない。
本件事故当時,原告が,本件ホーム東側終端部の壁を階段の裏側の壁又はホームに設置されていた柱と認識したことは,ホーム終端部の壁と階段の裏側の壁,柱の材質,構造が同じであることなどからすると,原告の過失ではない。
本件事故当時,原告が,本件ホーム東側終端部の壁を右側へ回り込もうとしたことは,原告が,本件ホーム東側終端部の壁を階段の裏側の壁と認識していた以上,その場で停止する契機は全くないことや,列車が進行している音には気付いていたが,風圧は感じておらず,列車までの距離を認識することはできなかったことからすると,原告の過失ではない。
以上のとおり,本件事故当時,原告は,何の問題もなく歩行していたのであり,過失相殺されるべき過失はない。
第3 争点に対する判断
1 前提となる事実関係
(1) 本件事故態様
証拠(甲1ないし5,15の2,37,乙26,原告本人)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
ア 本件事故現場の概況
本件事故当時の本件事故現場の概況は,別紙図面記載のとおりである。
本件ホームは,相対式のホームで,南側が線路,北側及び東側が壁となっていた。本件ホームには,階段が4箇所(3箇所は西向き,1箇所は東向き)に設置されていたが,そのうち3箇所の階段の南端とホーム縁端との間隔は約150センチメートルであった。
本件ホーム縁端部には,縁端部から約72センチメートルの位置より縦・横30センチメートル四方の警告ブロックが連続して設置されていた(上記3箇所の階段と警告ブロックの北端との間隔は約50センチメートル)が,警告ブロックは,本件ホーム東側終端部から西側約5.7メートル地点付近で北側へ向かってL字型に屈曲してホーム北側の壁に接続しており,ホーム東側終端部の壁まで接続していなかった。
本件ホーム東側終端部の壁の南端とホーム縁端部との間には、約40センチメートル程度の間隔があり,そこに,幅約6センチメートル程度の立入禁止と記載された板が設置されていたが,立入禁止柵は設置されていなかった。
本件ホームにおける列車停止位置前方からホーム東側終端部までの距離は約5.2メートルであり,その間のホーム縁端部には転落防止柵は設置されていなかった。
イ 本件事故態様
本件事故当日,原告は,JR大阪駅から地下鉄御堂筋線梅田駅までは大学のゼミの友人と一緒に歩行していたが,御堂筋線梅田駅のホームへ降りる階段を降りている途中に,なかもず方面行きの列車が到着する音が聞こえたため,急いで階段を降りて,なかもず方面行き列車に乗り,友人と別れた。原告は,JR大阪駅から御堂筋線梅田駅構内に入る際,歩行訓練を受けたルートと異なる別の改札口を通過して入り,急いで列車に乗車したため,乗車位置を確認できなかった。
その後,原告は,天王寺駅の別紙図面記載@地点付近で列車から降車した。原告は,御堂筋線梅田駅で乗車する際,乗車位置を確認しなかったため,自分が別紙図面記載B階段と別紙図面記載D階段との間のホーム上に降車したものと勘違いし,降車後,別紙図面記載B階段へ向かうつもりで,東側へ向かって歩き始めた。その際,原告は,本件ホーム縁端部から線路と並行に連続して設置された警告ブロックのややホーム内側部分を,白杖を使用して警告ブロックをときどき確認しながら,前方から来る旅客に注意しつつ歩行した。原告は,しばらく歩行した後,別紙図面記載B階段へ向かうつもりで,ややホーム内側へ進路を変えて,警告ブロックを触知しないで歩行した。
その後,原告は,警告ブロックがL字型に屈曲して北側へ延びている部分(別紙図面記載A地点付近)の警告ブロックを左足で踏んだものの,警告ブロックの存在に気付かず,そのまま歩行し続け,使用していた白杖が本件ホーム東端の壁に突き当たった。原告は,自分が別紙図面記載B階段へ向かっているものと思いこんでいたため,白杖が当たった壁が,本件ホーム東側終端部の壁であることが分らず,別紙図面記載A階段の裏側の壁か,ホームに設置されている柱に当たったものと勘違いした。そこで,原告は,その障害物を右側から回り込もうとして,白杖で壁を叩きながら右側へ移動し,壁の角を触知したため,更に回り込もうとした。その際,原告は,音により,自分が乗ってきた列車が発車して進行していたことは認識していたが,列車までの距離は分らなかったため,できるだけ壁に沿う形で壁を触知して回り込もうとした。その際,白杖で警告ブロックを触知するような行動は取らなかった。また,原告は,途中で警告ブロックが北側へ屈曲していたことに気付かず,いまだ,自分の右側に警告ブロックが設置されているものと思いこんでいた。
折から,原告の白杖に,発車していた本件車両の5,6車両目の側部が接触し,白杖が飛ばされた上,バランスを崩した原告の右腕が本件車両に接触した結果,原告は,本件ホーム東側終端部のホーム縁端部付近(別紙図面記載B地点付近)から線路脇に転落し,本件ホーム東側終端部から約16メートル東方の地点まで列車に引きずられた。
本件事故当時,本件ホーム上には,大阪市営地下鉄の駅員,助役その他の職員は配置されていなかった。
(2) 点字ブロック
証拠(甲11,12)によれば,以下の事実が認められる。
ア 誘導ブロック
誘導ブロックとは,縦・横約30センチメートル四方又は縦・横約40センチメートル四方のブロックに,高さ約0.5センチメートル,幅約4センチメートルの短冊状の突起4本が隆起して,視覚障害者に対し,歩行を誘導するものである(ただし,突起の大きさや個数その他の形状には数種の種類がある。)。
イ 警告ブロック
警告ブロックとは,縦・横約30センチメートル四方又は縦・横約40センチメートル四方のブロックに,高さ約0.5センチメートル,直径約3.5センチメートルの突起36個が隆起して,視覚障害者に対し,誘導の方向の変化,前方の段差及び障害物の存在その他の危険を警告するものである(ただし,突起の大きさや個数その他の形状には数種の種類がある。)。
(3) 視覚障害者の歩行特性及び鉄道利用の際の危険性
証拠(甲6ないし10,乙42の1ないし3,証人村上琢磨,原告本人)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
ア 視覚障害者の歩行特性
視覚障害者は,単独歩行する際には,主として,白杖や足による触覚情報と音源定位やエコー定位(自己の足音や白杖を突く音が建物や塀などに当たって反射してくる音を利用してそれらの障害物の存在を知る方法)などによる聴覚情報を統合して周囲の環境を認知しながら行動している。ただし,音源定位は,音源の上下,音源までの距離の判別が困難であり正確性に欠けるところがあり,かつ,地下鉄駅構内においては音の反射等が原因で,一層正確性に欠けるし,また,エコー定位はかなりの高度の技術であることから,実際の歩行においては,視覚障害者は,建物の壁等の何らかの境界線に沿って,これらを利用して歩行することが多い。
視覚障害者の歩行においては,白杖の振り方や身体の方向などにおいて左右のバランスがとれていないことなどの原因により,歩行中に自己の意思とは無関係に進行方向が逸れてしまう現象(偏軌傾向)が生じる。また,触覚情報や聴覚情報は,視覚情報と比較して情報量が少なく不確定であり,聴覚情報は,再生確認することができないため,短時間に情報が集中するとすべてを処理できない状況に陥り,冷静な判断を行うことが困難になることがある。
このように,視覚障害者の歩行には,健常者の歩行とは異なる特性が存する。
イ 視覚障害者の駅ホーム歩行の際の危険性及び対策
上記のような歩行特性により,視覚障害者が駅ホーム上を移動する際には,勘違い,混乱等による方向誤認の結果,健常者であれば立ち入ることのないホーム縁端部,終端部等に迷い込んでしまう危険性や警告ブロックが設置されていない場所では,自己の方向・位置を再確認することができず,自己の方向や位置の認識を取り戻そうと移動しているうちに,ホーム縁端部や終端部から軌道上へ転落する事故等の危険な事故に結びつく危険性がある。
このような危険への対策としては,可能な限り晴眼者の介助による歩行が望ましいが,単独歩行する場合には,白杖の先端を床面にすらせてホーム縁端や警告ブロックを触知するスライド方式で使用すること,他の場所よりもゆっくり歩行すること,相対式ホームにおいては壁に沿って歩行すること,警告ブロックを手掛かりとして歩行すること,列車から降車したら列車から先ず離れて,列車が発車して離れたことを確認してから次の行動に移るようにすることなどが考えられる。
(4) 原告の視力障害と歩行能力
証拠(甲37ないし39,原告本人)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
ア 原告の視覚障害の程度
原告は,生まれつき両眼に先天性緑内障の障害を有しており,弱視であったところ,その後,次第に視力が低下していき,平成5年ころには全盲の状態となった。
イ 原告の単独歩行能力
原告は,中学校在学中に,歩行指導員から白杖の振り方等の基本的な歩行訓練を受け,さらに,中学卒業後,筑波大学付属盲学校高等部普通科へ進学して,基本的な歩行訓練に加えて応用的な歩行訓練も行った結果,同校在学中に,バス,地下鉄等の交通機関を利用しての単独歩行が可能になり,本件事故当時は単独歩行歴5年程度であった。
原告は,本件事故の約3か月前に,大阪市身体障害者団体協議会に所属している訓練士から歩行訓練を受けたが,その内容は,阪急電鉄梅田駅から地下鉄御堂筋線梅田駅の北改札出口を抜けて,列車に乗り込み,御堂筋線天王寺駅の東改札出口を抜けて近畿日本鉄道の東改札出口へ向かうというルートの訓練であり,訓練ルートにおける改札口と階段の位置関係を覚えて,階段の付近に停止する車両に乗車するというものであった。
原告は,この歩行訓練によって,天王寺駅の本件ホームの階段の数や配置等を把握したが,点字ブロック及び転落防止柵の設置状況については確認していなかった。
原告は,歩行訓練後,本件事故までに,単独で天王寺駅を4,5回利用したが,その際には,歩行訓練を受けたルートを歩行して利用していた。
(5) 天王寺駅の利用状況
証拠(甲12,乙3,5,7,37の1・2,54,証人田宮義司[以下「田宮」という。])及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
ア 平成8年2月15日に実施した大阪市営地下鉄交通調査によれば,御堂筋線天王寺駅の乗降客は1日当たり約20万4050人で,大阪市営地下鉄全駅中第4位であり午前8時から午前9時までの乗降客は約3万4469人であった。
なお,平成3年当時の全国の視覚障害者の数は,約35万3000人であった。
イ 御堂筋線の列車の運行状況
本件事故が発生した平成7年10月当時,御堂筋線では,午前7時から午前9時までのいわゆるラッシュ時には1時間に20ないし30本近い列車が運行しており,午前10時から午後3時までの間も,1時間に15本程度,午後5時,午後6時のラッシュ時には1時間に25本程度の列車が運行していた。
ウ 天王寺駅周辺の視覚障害者関連施設の状況
天王寺駅の周辺には,阿倍野区阪南町に平和寮,東住吉区南田辺に早川福祉会館,浪速区久保吉に浪速障害者会館、西成区長橋に西成障害者会館,天王寺区東高津に大阪市視覚障害者福祉協会,天王寺区生玉前町に大阪府盲人福祉センター,東住吉区長居公園に大阪市長居身体障害者スポーツセンターがそれぞれあった。
(6) 本件事故発生以前の大阪市営地下鉄における事故状況
証拠(甲15の1・2,42の1,49,証人田宮)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
大阪市営地下鉄においては,視覚障害者の駅ホームからの転落事故は,平成元年から本件事故発生まで,少なくとも25件発生していた。
そのうち,ホーム縁端部に転落防止柵が設置されておらず,かつ警告ブロックも設置されていない箇所から視覚障害者が転落した事故は,以下のとおり,平成4年7月3日に谷町線駒川中野駅において発生した転落事故,平成6年2月15日に御堂筋線長居駅において発生した転落事故,同年12月5日,四つ橋線西梅田駅において発生した転落事故,平成7年6月24日,谷町線天王寺駅において発生した転落事故の合計4件があった。
ア 平成4年7月3日に発生した転落事故の態様
谷町線駒川中野駅は,島式ホームであり,事故当時,ホーム終端部に転落防止柵は設置されておらず,また,ホーム縁端部の警告ブロックは,ホーム終端の手前でL字型に屈曲して,ホーム終端部まで延長されていなかった。
転落者は,列車から降車して左手で盲導犬を持ち,歩行していたところ,ホーム終端部付近の警告ブロックが設置されていない箇所(上記L字型に屈曲した場所から約36.58メートルの距離)から,盲導犬と一緒に転落した。
イ 平成6年2月15日に発生した転落事故の態様
御堂筋線長居駅は相対式ホームであり,事故当時,なかもず行きホームには,転落防止柵は設置されておらず,ホーム縁端部の警告ブロックがホーム終端部に連続していなかった。
転落者は,普段とは異なる位置で降車したため,勘違いしてホーム南側終端部に至り,転落防止柵及び縁端部警告ブロックが設置されていない箇所から足を踏み外して転落した。
ウ 平成6年12月5日に発生した転落事故の態様
四つ橋線西梅田駅は島式ホームであり,事故当時,ホーム北側終端部には転落防止柵が設置されていたが,ホーム縁端部の警告ブロックがホーム終端の手前でL字型に屈曲し,転落防止柵と連続しておらず,約7メートル転落防止柵及び警告ブロックがない箇所があった。
転落者は,普段は白杖を使用していたが,事故当日は白杖を所持していなかった。転落者は,降車後,ホームを歩行していたところ,上記の転落防止柵及び警告ブロックがない箇所から転落した。
エ 平成7年6月24日に発生した転落事故の態様
事故当時,谷町線天王寺駅八尾南行きホームのホーム北側終端部には,転落防止柵が設置されておらず,ホーム縁端の警告ブロックは,ホーム北側終端の手前でL字型に屈曲して、ホーム北側終端部まで連続していなかったため,約19メートル警告ブロックの設置されていない箇所があった。
転落者は,八尾南行きホームの縁端部付近を白杖を使用して歩行していたが,ホーム北側終端部付近の警告ブロックがない部分から足を踏み外して転落した。
(7) 運輸省作成のガイドライン
証拠(甲12,17,18)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
ア 公共交通ターミナルにおける身体障害者用施設整備ガイドライン(昭和58年3月作成,旧ガイドライン)
(ア) 位置付け,趣旨
旧ガイドラインは,中央心身障害者対策協議会の意見具申に基づき,昭和57年3月に国際障害者年推進本部において決定された障害者対策に関する長期計画や,昭和56年7月に運輸大臣に対して答申された運輸政策審議会の答申等に沿って,各交通事業者が駅舎等のターミナル施設の整備を進めて行くに当たり,着実な推進を図るため,施設整備のあり方についてガイドライン(指針)を作成し事業者に示すと共に,その指針に沿ってターミナル整備が行われるよう指導することにより,公共交通機関に係る身体障害者の利用を促進することを目標として策定された。
(イ) 具体的指針内容
ホームにおいては,視覚障害者の場合,ホームからの転落の危険性が高く,ホーム縁端部の危険表示を明確にすることが必要であるとした上、設計上の施設標準として,ホーム縁端は警告ブロックを設置して危険を防止すること,ホーム両側部には危険を防止するために,高さ110センチメートル程度の柵(立入禁止柵)を設けること,プラットホーム縁端部の危険表示として警告ブロックを縁端から80センチメートル以上の位置に,幅30センチメートル又は40センチメートルで連続して設置することが望ましいなどがそれぞれ記載されているが,ホーム縁端部と平行に設置する柵(転落防止柵)に関しては特に記載されていない。
また,旧ガイドライン記載の姿図及び小規模駅舎モデルにおいては,立入禁止柵,ホーム縁端警告ブロック等の設置例として,島式ホームにおいて,立入禁止柵がホームをコの字形に囲い込む形に,警告ブロックが立入禁止柵と連続するような形に設置されているが,警告ブロックをホーム終端部又は立入禁止柵と接続して設置する旨の明確な記載はない。
イ 公共交通ターミナルにおける高齢者・障害者等のための施設整備ガイドライン(平成6年3月作成・新ガイドライン)
(ア) 位置付け,趣旨
新ガイドラインは,平成3年6月の運輸政策審議会答申,同年7月及び平成5年1月の中央心身障害者対策協議会の意見具申等を受けて,障害対策推進本部が,政府として,障害者に配慮した交通ターミナルにおけるガイドラインについて,適切な見直しを行うことを決定したという状況を踏まえて,運輸省が,旧ガイドラインの見直し等を行って平成6年3月に策定したものである。
旧ガイドラインの見直しにおいては,平成4年度から,各大学教授その他の専門家及び運輸省の担当者などから構成された調査研究委員会を設け,2年間かけて検討が行われた。
新ガイドラインは,交通事業者等が公共交通ターミナルの施設整備を進めていく際の指針として策定したものであり,今後,新ガイドラインに沿って公共交通ターミナルの整備が着実かつ統一的に進められるよう交通事業者等を指導することとするものである。
(イ) 具体的指針内容
ホームにおいては,視覚障害者の場合,ホームからの転落の危険性が高く,ホーム縁端部の危険表示を明確にすることが必要であるとした上で,技術的標準として,ホーム縁端は,警告ブロックを設置して危険を防止すること,ホーム両側の終端部には危険を防止するために,高さ110ないし150センチメートル程度の柵(立入禁止柵)を設けること,プラットホームは縁端部の危険表示として,警告ブロックを縁端から80センチメートル以上の位置に,幅30センチメートル又は40センチメートルで連続して設置することが望ましいなどがそれぞれ記載されているが,ホーム縁端と平行に設置する柵(転落防止柵)に関しては特に記載されていない。
また,新ガイドライン記載の姿図及び鉄道ターミナルモデル図においては,立入禁止柵,警告ブロック等の設置例として,島式ホームにおいて立入禁止柵がホームをコの字形に囲い込む形に,警告ブロックが立入禁止柵と連続するような形に設置されているが,警告ブロックをホーム終端部又は立入禁止柵と接続して設置する旨の明確な記載はない。
(ウ) また,平成6年当時の整備率は低いが,視覚障害者等がターミナルを利用する際の利便性の向上等に資する設備などを先進的な施設・設備の事例として位置付け,社会の動向や技術開発の状況などにかんがみ,将来的には整備が検討されることが望ましい設備として,別途参考事例の項を設けており,同項には,ホームドア,転落検知マット等の安全設備が記載されている。
(8) 地下鉄車両の特殊性(過走の発生)
証拠(乙8ないし12,22の1ないし4)及び弁論の全趣旨によれば,地下鉄車両は,あらかじめ決められたダイヤグラムに従って運行するため,運転士は,あらかじめ定められた運転操作を運転指示標識に従って行うこと,しかし,列車は高速で移動するから,運転士の運転操作が遅れることがあり,わずかな制動操作の遅れにより,停止位置を越えて停止することがあること,また,地下鉄車両の制動装置には,空気式ブレーキと電気式ブレーキ(回生ブレーキ)の二種類があるところ,回生ブレーキが何らかの原因で働かなくなったときには,制動力に一瞬(約1秒間)の低下が生じることになり,停止位置を越えて停止することがあること,このような運転士の制動操作の遅れや回生ブレーキの不作動により列車が停止位置を越えて停止することを過走ということ,大阪市営地下鉄において,過走が生じたため,結果的に列車を後退させた件数は,平成8年度は49件,平成9年度は60件,平成10年度は32件であったことがそれぞれ認められる。
(9) 大阪市営地下鉄における安全対策
証拠(甲25,乙27,40,43,54,証人田宮)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
ア 大阪市営地下鉄における安全設備の設置基準
(ア) 平成7年9月以前の設置基準
大阪市営地下鉄における平成7年9月以前の安全設備の基本的な設置基準は,次のとおりであった。
a. 転落防止柵の設置基準
平成6年改正前の普通鉄道構造規則33条6項に「プラットホームの有効長は,当該プラットホームに発着する最長の列車の長さに5メートルを加えた長さとしなければならない」との規定を参考として(もっとも,大阪市営地下鉄は,軌道法の適用を受けるのであって,普通鉄道構造規則が直接適用されるわけではない。),列車停止線の前方約5メートルまでを旅客の乗降に用いる「プラットホームの有効長」と考え,原則として,列車前部の停止位置前方5メートル及び列車後部から後方5メートルの範囲内は,旅客の乗降の妨げとなる転落防止柵を設置しない自主的な扱いとしていた。
その理由は,過走が生じた場合に,本来の停止位置まで後退させてから乗降車を行う場合には,通常,ホーム上で待機していた旅客が停止した列車の乗降口付近に殺到するため,旅客の安全確保のために,いったんホームで待機している旅客に対して,構内放送等により列車から離れるように指示して,旅客が列車から離れたことを確認した上で所定の停止位置に後退する必要があるところ,このような作業を行うには,通常2ないし3分程度かかり,ラッシュ時には乗降客が多く,1時間に20ないし30本近くの列車が運行している路線もあるので,過走が生じたすべての場合に停止位置まで後退した上で乗降を行っていたのでは,列車の発着が遅れて,ホーム上に旅客があふれ,危険な状態になるからである。
そこで,過走が生じた場合に,列車を後退させることなく旅客の乗降ができるように配慮して,列車前部の停止位置前方5メートル及び列車後部から後方5メートルの範囲内には転落防止柵を設置しないこととしたものである。
ただし,列車の停止位置付近に乗降口や乗降階段があるなど,ラッシュ時に乗客がホームにあふれ,押されて線路に転落する危険性のあるところでは旅客の安全かつ円滑な乗降を確保するため,停止位置から5メートルの間隔を空けずに転落防止柵を設置することとしていた。
b 警告ブロックの設置基準
原則として,相対式ホーム,島式ホーム共に,ホーム終端部ないし立入禁止柵に至るまで警告ブロックを連続して設置せず,L字型に屈曲させることとしていた。
c 立入禁止柵の設置基準
ホーム終端部に階段,エスカレーター,エレベーター等の乗降設備がないホームにおいては,上記転落防止柵設置基準に従って転落防止柵を設置する場合には,転落防止柵を約2メートル設置して,転落防止柵をホーム縁端と直角にホーム内側へ向かって屈曲させて立入禁止柵を設置することとしていた。
(イ) 平成7年9月以降の設置基準
平成7年6月24日に発生した谷町線天王寺駅における転落事故を契機として,大阪市交通局内で会議が開かれ,また,大阪市視覚障害者福祉協議会と協議を行うなどして,同年9月までに上記基準を変更した。
具体的には,平成7年9月以前の基準のうち,転落防止柵の設置基準につき,列車が停止位置の5メートルも手前に停止することは少ないため,停止位置後方の転落防止柵を設置しない範囲を1メートルに短縮することとし,また,立入禁止柵ないし転落防止柵と警告ブロックとを連続して設置することとした。
上記基準の変更に伴い,被告は,平成7年9月から順次,大阪市営地下鉄の各駅ホームの変更工事に着手し,同年中に変更工事を完了する予定であったが,本件事故は,変更工事中,いまだ変更工事が行われていない本件ホームにおいて発生した。
イ 大阪市営地下鉄における安全設備の設置状況
(ア) 本件事故当時の設置状況
本件事故当時の,大阪市営地下鉄の各駅ホームにおける転落防止柵,立入禁止柵及び警告ブロックの設置状況は必ずしも明らかではない。
本件事故後の平成7年12月10日当時の設置状況は,上記基準の変更に基づく工事が相当程度施行されていた時期であることなどから,ホーム終端部に転落防止柵が設置されたホーム,ホーム終端部と警告ブロックが接続されて設置されたホームが相当数存在していた。
(イ) 平成11年8月21日,22日当時の設置状況
平成11年8月当時の設置状況は,御堂筋線,四つ橋線の各駅ホームにおいては概ね平成7年12月当時と設置状況は同様であったが,谷町線,中央線,千日前線,堺筋線の各駅ホームは転落防止柵が新たに設置され,また,警告ブロックがホーム終端部に接続して設置されたホームが相当数存在した。
(10) 普通鉄道構造規則上の建築限界
証拠(乙56の1,証人田宮)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
普通鉄道構造規則は,鉄道営業法1条に基づき定められた省令であり,普通鉄道の輸送の用に供する施設及び車両の構造を定めることにより,輸送の安全を図り,もって公共の福祉を確保することを目的とするものである。
そして,普通鉄道構造規則20条,21条1項,167条,168条によれば,建築限界内には,建物その他の建造物等を設けてはならず,地下式構造の鉄道の場合,直線における建築限界は,車両の窓の側方となる箇所については,建築限界と車両限界の基礎限界との間隔を400ミリメートル以上としなければならない(旅客が窓から身体を出すことのできない構造の車両のみが走行する区間にあっては,同間隔は200ミリメートルで足りる。)とされている。
大阪市営地下鉄は,軌道法が適用される鉄道であり,上記各条項の直接の適用はない。
もっとも,本件事故当時,大阪市営地下鉄においては,旅客が窓から身体を出すことができる構造の車両が走行していたのであるから,普通鉄道構造規則が定める建築限界に準じると,本件ホームにおいて,建築限界と車両限界の基礎限界との間隔を400ミリメートル以上に設定することが要求されることになる。
(11) 各交通事業者等の駅ホームにおける視覚障害者の安全設備の設置状況証拠(甲11,34,48,乙28ないし34)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
ア 点字ブロック自体の設置状況
平成5年度末当時,JRにおいては,総数4670駅のうち2237駅(47.9パーセント)につき,私鉄においては,総数1763駅のうち1708駅(96.9パーセント)につき,営団地下鉄,公営地下鉄においては,総数482駅のうち482駅(100パーセント)につき,それぞれ点字ブロック設置が整備されていた。
イ 他の交通事業者等の駅ホームにおける安全設備の設置状況
(ア) 京王線(平成8年9月から同年10月の調査結果)
立入禁止柵については,立入禁止柵の設置されていないホーム,立入禁止柵は設置されているが,ホーム縁端部との距離が70センチメートル以上空いているホームが存在した。
警告ブロツクについては,列車が停止して旅客の乗降が行われる範囲内のホーム縁端部に警告ブロックが設置されていないホームもあったなど,立入禁止柵と縁端部警告ブロックとが接続していないホームが多数存在した。
(イ) JR山手線(平成8年11月から平成9年3月の調査結果)
立入禁止柵については,立入禁止柵とホーム縁端部との間隔の平均は約60センチメートルであり,40センチメートル未満のホームはほとんどなく,70センチメートル以上のホームも相当数存在した。
警告ブロックについては,ホーム終端部と縁端部警告ブロックの端との距離は,平均して約4.7メートル空いており,10メートル以上空いているホームや,列車が停止して旅客の乗降が行われる範囲内のホーム縁端部に警告ブロックが設置されていないホームも存在した。転落防止柵と警告ブロックが接続しているホームも19箇所存在したが,いずれも,ホーム終端部に階段が設置されており,転落防止柵が階段に通じる形で設置されていた。
調査結果報告書においても,ホーム両側の終端部と警告ブロックの端との間は空けることを標準にしていると考えられる旨記載されている。
(ウ) 都営新宿線(平成8年12月から平成9年3月の調査結果)
立入禁止柵については,立入禁止柵とホーム縁端部との距離の平均値は約20.8センチメートルであり,最大でも約36センチメートルであった。
警告ブロックについては,ホーム終端部と警告ブロックの端との距離は平均して約3.5メートルであり,列車が停止して旅客の乗降が行われる範囲内のホーム縁端部に警告ブロックが設置されていないホームも存在した。転落防止柵と警告ブロックが接続しているホームも10箇所存在したが,いずれも,ホーム両側の終端部に通路や階段が設置されているホームであった。
(エ) 阪神電鉄(平成11年6月調査)
梅田駅ホームには転落防止柵が設置されていなかった。三宮駅ホームには,警告ブロックがL字型に屈曲しており,ホーム終端部に,転落防止柵も警告ブロックも設置されていない箇所が存在した。
(オ) 阪急電鉄(平成11年6月調査)
梅田駅ホームには転落防止柵が設置されておらず,警告ブロックがホーム終端部の手前でL字型に屈曲しており,転落防止柵も警告ブロックも設置されていない箇所が存在した。
(カ) 京阪電鉄(平成11年6月調査)
転落防止柵の設置されていないホームが多数存在した。天満橋駅ホームには,警告ブロックがホーム終端部の手前でL字型に屈曲しており,転落防止柵も警告ブロックも設置されていない箇所が存在した。調査したその他の駅ホームはホーム終端部まで警告ブロックが設置されていたが,そのうち多数がホーム終端部に階段等が設置されている箇所であった。
(キ) 近畿日本鉄道(平成11年7月調査)
調査が行われた三駅には,いずれも転落防止柵が設置されていなかった。上本町駅ホーム,難波駅ホームには,警告ブロックがホーム終端部の手前でL字型に屈曲しており,転落防止柵も警告ブロックも設置されていない箇所が存在した。
(ク) JR大阪駅,東西線,環状線
転落防止柵の設置されていないホームや警告ブロックがホーム終端部の手前でL字型に屈曲しており,転落防止柵も警告ブロックも設置されていないホームが相当数存在した。
(ケ) 東京都営交通(平成11年10月,平成12年1月,同年2月調査)
立入禁止柵についてはほとんどすべての駅ホームで設置されており,立入禁止柵とホーム縁端部との間隔は明らかではないが20センチメートル程度である。
転落防止柵については,相当数のホームにおいて設置されておらず,ホーム終端部が壁であるか立入禁止柵が設置されているホームにおいては,警告ブロツクがホーム終端部の手前でL字型に屈曲しており,転落防止柵も縁端部警告ブロックも設置されていない箇所も相当数存在した(新宿線新宿駅・馬喰横山駅・小川町駅,12号線新宿駅,三田線巣鴨駅,浅草線日本橋駅・東日本橋駅・東銀座駅,新宿線九段下駅など)。
平成10年度の1日当たり平均乗降者数は,新宿線新宿駅は約10万9261人(全駅中第1位),同線馬喰横山駅は約10万5593人(全駅中第2位)であった。
(コ) 帝都高速度交通営団(平成11年10月,平成12年1月調査)
立入禁止柵については,ほとんどすべての駅ホームに設置されていた。立入禁止柵とホーム縁端部との間隔は明らかではないが,20センチメートルないし40センチメートル程度のホームが多かった。
転落防止柵については,相当数のホームに設置されておらず,ホーム終端部が壁であるか立入禁止柵が設置されているホームにおいては,警告ブロックがホーム終端部の手前でL字型に屈曲しており,転落防止柵も縁端部警告ブロックも設置されていない箇所も相当数存在した(有楽町線池袋駅,銀座線銀座駅・上野駅・渋谷駅・新橋駅・日本橋駅,丸の内線新宿駅,日比谷線上野駅など)。
平成10年度の1日当たり平均乗降者数は,有楽町線池袋駅は約51万8141人(全駅中第1位),銀座線銀座駅は約28万1509人(全駅中第4位),同線上野駅及び日比谷線上野駅は約23万4539人(全駅中第6位),同線渋谷駅は約21万6889人(全駅中第7位),同線新橋駅は約21万5105人(全駅中第8位),同線日本橋駅は約19万2271人,丸の内線新宿駅は約27万7449人(全駅中第5位)であった。
(サ) 京都市営地下鉄(平成12年12月調査)
烏丸線においては転落防止柵が設置され,転落防止柵と警告ブロックが連続して設置されているホームが存在した。また,東西線においては,ホームドアが設置されているホームが存在した。
(12) 大阪市交通局と視覚障害者団体等との間の折衝等
証拠(甲13,14,25,40の1・2,41の1・2,44の1・2,乙40,43,証人田宮)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
ア 視覚障害者団体は,大阪市交通局に対し,平成6年12月,転落防止柵を設置するように要請し,これに対し,大阪市交通局は,上記の平成7年9月以前の転落防止柵設置基準を説明した。
イ 大阪市交通局は,平成7年6月24日に谷町線天王寺駅ホームにおいて発生した視覚障害者の転落事故を契機として,大阪市交通局は,大阪市視覚障害者福祉協議会と協議を行うなどした結果,転落防止柵が設置されておらず,警告ブロックも設置されていないホーム終端部から転落する視覚障害者がいるため,警告ブロックをホーム終端部又は転落防止柵に接続して敷設することとし,同年9月ころまでに,転落防止柵,立入禁止柵の設置及び縁端部警告ブロックの設置基準が変更された。
ウ 関西Student Library(以下「関西SL」という。)は,平成7年12月10日,大阪市営地下鉄の調査を行い,調査結果に基づき,平成8年5月2日,大阪市長及び大阪市交通局長に対し,第1回要望書を提出し,その中で,警告ブロックの両端部をL字型に曲げ,ホームの終端であることを明確化すること,ホーム終端部まで警告ブロックを延長すること,以上の設備をすべての駅に共通して実施することを要望した。
これに対し,大阪市交通局は,同年6月18日付けで,転落防止柵は,列車の制動余裕距離を考慮して停止位置前5メートル及び停止位置後1メートルの範囲内は設置しないこと,相対式ホームでホーム終端部に乗降階段のない箇所は,縁端部警告ブロックをL字型に屈曲してホームの壁に接続させると共に,警告ブロックを突破された場合の安全を考慮して,縁端部警告ブロックを転落防止柵に接続することを回答した。
工 平成8年5月2日,原告は,大阪市交通局長宛に,平成8年5月2日,本件事故当時,本件ホーム上に駅員が配置されていなかったこと,ホーム終端部は,立入禁止と記載された木の札が付いているが,視覚障害者に対しての立入禁止柵が設置されていなかったことを理由として,本件事故につき過失を認めることを要望する要望書を提出した。
これに対し,大阪市交通局は,同月23日付けで,本件ホームに駅員が配置されていなかったことは直ちに過失とは考えていない,警告ブロックで警告しているため視覚障害者に対しても警告は尽くされていると考えている,新ガイドラインに反するものとは考えていないなどと回答した。
オ 関西SLは,平成8年9月6日,大阪市営地下鉄の再調査を行い,調査結果に基づき,大阪市交通局長に対し,同年12月10日,第2回要望書を提出し,平成7年12月に調査した際には見受けられなかった箇所の設備不備を改善して視覚障害者の利用しやすい駅づくりに努めてほしいなどと要望したところ,大阪市交通局は,平成9年3月4日付けで回答した。
カ 視覚障害者の歩行の自由と安全を考えるブルックの会は,平成11年8月,同年10月及び同年12月,大阪市営地下鉄の駅ホームの設置状況等の調査を行った。
(13) 視覚障害者の転落事故調査や転落事故等に関する文献
証拠(甲7ないし11,34)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
ア 昭和60年1月発行の「盲人単独歩行者のプラットホームからの転落事故」という論文において,昭和58年に実施した視覚障害者のホームからの転落事故調査の結果が記載され,転落の直接的原因として,白杖使用技術が十分でないことと注意力の不適正との相乗効果が大部分を占めていること,転落事故防止の対策としては,ホーム縁端に沿って移動中の事故については,点字ブロックを設置する必要があるし,理想的にはクローズド・プラットホームの形式を採用することである旨記載されている。
イ 平成4年1月発行の、リハビリテーション研究第70号において,「視覚障害者による鉄道単独利用の困難な実態」という論文が掲載され,その中で,平成4年,鉄道を利用する視覚障害者109名に対して調査を行った結果,うち25名がホームから軌道上への転落事故を経験しており,この25名の延べ転落回数は45回であった旨報告されており,転落の直接的原因として,点字ブロックの設置方法が悪いことなどが挙げられているものの,その詳細は記載されておらず,また,視覚障害者がホームを歩行する際には,ホーム縁端部の警告ブロックを移動の手掛かりとして使用する者が多いとされている。
ウ 平成5年6月発行の視覚障害リハビリテーション第37号において,「視覚障害者の鉄道駅ホームからの転落事故と対策」,「プラットホームからの転落事故に対する安全対策」という各論文が掲載され,その中には,視覚障害者の駅ホームからの転落事故発生の危険性,転落の実態,点字ブロック以外の安全対策等のほか,視覚障害者がホームから転落する主な原因は,ホーム上での適切な白杖使用を行わなかったことであること,ホームの安全対策として,すべてのプラットホーム縁端部に警告ブロックを設置することと設置方法を統一することなどが記載されているが,ホーム終端部ないし転落防止柵と縁端部警告ブロックが接続していない箇所からの転落事故が発生しているとの指摘や,視覚障害者は警告ブロックを通り越してしまうため,ホーム終端部ないし転落防止柵と警告ブロックが接続されていない箇所は転落の危険性が高いなどの指摘はなされていない。
エ 平成7年2月15日発行の人間工学において,「視覚障害者の歩行特性と駅プラットホームからの転落事故」という論文が掲載され,そこでは,何例かの転落事故の事故原因が検討された。しかし,ホーム終端部ないし転落防止柵と縁端部警告ブロックが連続していないことが原因の事故例は紹介されておらず,直接的な原因は白杖によるホーム縁端部の検出が不十分であったことにあるとする報告が多くなされている。
オ 福祉ウオッチングの会は,平成8年8月1日,視覚障害者のホームからの転落事故を調査して,転落事故の原因,問題点等を検討した結果等を記載した「視覚障害者のホーム転落事故調査」を発行した。
カ 福祉ウオッチングの会は,平成8年9月から同年10月にかけて京王線の調査を,同年11月から同年12月にかけて山手線の調査を,同年12月から平成9年3月にかけて都営新宿線の調査を行い,平成9年3月31日,「視覚障害者から見たホームの安全対策」を発行した。
(14) 高齢者,身体障害者等の公共交通機関を利用した移動の円滑化の促進に関する法律(以下「交通バリアフリー法」という。)
平成12年11月15日に施行された交通バリアフリー法は,既存の駅ホームについては,移動円滑化のために必要な旅客施設及び車両等の構造及び設備に関する基準(以下「移動円滑化基準」という。)に適合させるために必要な措置を講ずるよう努めなければならない旨規定しており,移動円滑化基準は,鉄道駅のプラットホームにおける基準として,ホームドア,可動式ホーム柵,点字ブロックその他の視覚障害者の転落を防止するための設備を設け,プラットホームの線路側以外の端部には,当該端部に階段が設置されている場合,その他旅客が転落するおそれがない場合を除き,旅客の転落を防止するための柵を設けることなどを規定している。
2 争点(1)(責任の有無)について
(1) 国家賠償法2条1項の損害賠償責任について
ア 国家賠償法2条1項にいう営造物の設置又は管理の瑕疵とは,営造物が通常有すべき安全性を欠く状態をいい,かかる瑕疵の存否については,当該営造物の構造,用法,場所的環境及び利用状況等諸般の事情を総合考慮して具体的個別的に判断すべきである。
本件事故当時,本件ホームでは,上記のとおり,列車停止位置前部からホーム東側終端部までの間に転落防止柵が設置されておらず(転落防止柵の不設置),警告ブロックがホーム東側終端部から西側約5.7メートル地点付近で北側へ向かってL字型に屈曲してホーム北側の壁に接続されており,ホーム東側終端部まで連続して設置されておらず(警告ブロックの不延長等),ホーム東側終端部の壁とホーム縁端部との間隔が約34ないし40センチメートル空いていたが,その箇所に立入禁止柵が設置されておらず(立入禁止柵の不設置),さらには,本件ホームには駅員がいなかったものであるが,このことをもって,本件ホームが通常有すべき安全性を欠いていたといえるかどうかにつき,以下において検討する。
なお,原告は,危険空間の存在を根拠に,本件ホームの設置又は管理に瑕疵がある旨の主張をする。確かに,駅のホームにおいて,転落防止柵,警告ブロック,立入禁止柵等の安全設備により囲まれていない空間は,視覚障害者にとり,線路に転落する危険のある空間というべきものであり,これを放置することなく,できる限り解消することが望まれる。
しかしながら,他方で,危険ないし安全という概念は相対的なものであり,一口に危険空間といっても一義的に定まるものではなく,駅の形状,利用状況,ホームの構造,利用者の行動形態等々により,果たして危険空間といえるかどうか,仮に危険空間といえたとしてもその危険性の度合い等は様々に異なるものであり,かつ,視覚障害者の安全性確保の立場に立った安全設備の設置の重要性はいうまでもないが,一つの施設の設置又は管理の瑕疵の有無を判断する場合,他の法益,例えば,本件との関連でいえば,大量,高速運送における円滑,安全な旅客の乗降等の法益との総合考慮をすることは欠かせないことであるから,危険空間があるからといって,直ちにホームの設置又は管理に瑕疵があるとか,危険空間を解消する措置を執らなかったことにより,直ちに法的責任があるということにはならず,結局のところ,上記のとおり,当該営造物の構造,用法,場所的環境及び利用状況等諸般の事情を総合考慮して,具体的個別的に瑕疵の有無を判断することに帰着するものというべきである。
イ 転落防止柵の不設置について
上記認定事実によれば,本件ホームの終端や停止位置付近には,旅客の乗降口,乗降階段,エレベーター,エスカレーター等の乗降設備はなく,ラッシュ時に旅客がホームにあふれて押されて線路に転落する危険性が直ちにあるとは認め難いから,列車前部の停止位置から約5メートルの間隔があるからといって,直ちに転落防止柵を設置すべきであるとはいえない。
しかも,上記認定のとおり,地下鉄列車運行の際には,列車は必ずしも停止位置に停止できず,過走が発生することが避けられず,過走が生じた場合に列車をいったん後退させてから旅客の乗降を行うには少なくとも1,2分は要すること(乙22の1ないし4),本件事故当時,いわゆるラッシュ時の御堂筋線においては,2,3分間隔で,1時間に20ないし30本近い列車が運行しており,天王寺駅の午前8時から午前9時までの1時間の乗降客が約3万5000人近い日もあったことなどからすると,仮に列車停止位置前方のホーム縁端部すべてに転落防止柵を設置するとなれば,過走が生じた際に常に列車を後退させてから旅客の乗降を行うことが必要になるが,このような場合には,たちまち他の列車の発着のおくれにつながって地下鉄列車運行に対する重大な支障が生じるだけでなく,旅客のスムーズな列車への乗降がなされないため旅客がホーム上にあふれる事態となって,旅客の混乱が生じたり,場合によってはホームから旅客が転落する危険,その他予期しない事故の発生する危険性がある(特に,ラッシュ時においてはその危険性が著しく高い。)ものと認められる。
そして,列車前部の停止位置から前方何メートル以内は転落防止柵を設けず,その範囲内では停止車両を後退させない扱いとするかについては,特別の法的規定はなく,各交通事業者において,駅の立地条件,乗客数,駅の形状,ホームの構造,乗降客の流れ等を考慮して適宜定めているのが実情であり(弁論の全趣旨),基本的には,各交通事業者の政策的判断というべきところ,上記のとおり,列車の停止性能に関する特性,旅客の安全,円滑な乗降の必要性等を考慮すれば,被告(大阪市営地下鉄)が本件事故当時設けていた内部基準(列車前部の停止位置から前方5メートル以内のホーム縁端部には,転落防止柵を設置せず,その範囲内では,停止車両を後退させることなく,旅客の乗降ができることとする旨)及びこれに基づき本件ホームに転落防止柵を設置しなかった被告の行為には,大阪市営地下鉄の他の駅では違う扱いがあること(上記のとおり,これとても,停止位置付近に改札口や乗降階段があるなどの事情があることがうかがえる。)を考慮しても,なお合理性があるものというべきである。原告は,数十センチでも転落防止柵を設置すべきと主張するが,これは結果からみた議論であり,当時として,そのような設置義務があったとはいえない。
さらに,上記認定のとおり,本件事故当時の被告以外の交通事業者等の駅ホームにおける転落防止柵の設置状況は,必ずしも明らかではないが,本件事故後約1年以上(東京都営交通や帝都高速度交通営団においては約4年以上)経過した後においても,転落防止柵が設置されていないホームや,ホーム縁端部に転落防止柵も警告ブロックも設置されていないホームが相当数存在したこと,かつ,天王寺駅よりも1日当たりの乗降客数が多いと思われる地下鉄駅においても,転落防止柵が設置されていないホームが相当数存在していたことが認められることからすれば,本件事故当時,列車停止位置前方に転落防止柵を設置することが標準的なものとして広く普及していたとはいえず,本件ホームの列車停止位置前方からホーム東側終端部までの間に転落防止柵が設置されていなかったからといって,他の交通事業者等のホームにおける設置管理状況と比較して,特に劣っていたものとは認め難い。
さらに,新ガイドラインとの関係についてみても,上記のとおり,新ガイドラインにおいて,転落防止柵の設置に関する特段の記載はないから,本件ホームで上記転落防止柵が設置されていなかったことをもって,新ガイドラインに適合しないとはいえない。
そうすると,本件ホームの東端部に転落防止柵を設置していなかったことには,相当の理由があったというべきである。
ウ 警告ブロックの不延長等について
(ア) 警告ブロックを設置する趣旨は,警告ブロックを設置することで,視覚障害者に対し,警告ブロックを越えた先には転落等の危険が存在するという危険を表示し(同時に,これを越えない限り転落等の危険はないとの安全表示でもある。),視覚障害者が警告ブロックを越えないように注意喚起を行い,もって,視覚障害者のホーム縁端からの転落や列車との接触事故の発生を未然に防止することにあるものと解される。
したがって,交通事業者が警告ブロックを設置した場合、視覚障害者に対しては,警告ブロックを越えないように行動することを期待しているものといえ,他方,視覚障害者としても,警告ブロック設置の趣旨,機能については,基本的には,十分了解できるものである。
(イ) 上記のとおり,大阪市営地下鉄では,従来,原則として,ホーム終端部ないし立入禁止柵に至るまで警告ブロックを連続して放置せず,L字型に屈曲させる旨の設置基準を採用しており,本件事故当時,本件ホームでは,階段,エスカレーター,エレベーター等の旅客が利用する設備及び列車が停止して旅客の乗降が行われる範囲内のホーム縁端部分を警告ブロック及び壁で囲い込む形となっており,東縁端警告ブロックは,ホーム東側終端部の西側約5.7メートル地点で北側に向かってL字形に屈曲してホーム北側の壁に接続され,ホーム東端終端部まで連続して設置されていなかったものである。
このような警告ブロックの設置方法は,本件ホームが相対式ホームであることからみても,視覚障害者が本件ホーム上の階段,エスカレーター,エレベーター等を利用して本件ホームに来たり,列車から本件ホームに降車したりした後に,ホーム上を歩行する際,視覚障害者を転落等の危険から遠ざけて安全な方向に誘導し,警告ブロックによる危険表示を与えられないままホーム縁端部から転落することがないように配慮した設置方法であると認められる。
(ウ)a ところで,警告ブロックをどこに,どのような形状で設置するか等,警告ブロックの設置方法については,法令上,これを具体的に定めた規定はないこと(上記のとおり,新ガイドラインでも,ホーム縁端は,警告ブロックを設置して危険を防止することとされ,警告ブロックの設置基準については,ホーム縁端から80センチメートル以上の位置に,幅30又は40センチメートルで連続して設置することが望ましいと記載されているものの,それ以上に危険防止のための詳細な警告ブロックの設置基準については特に定められていない。)からすれば,基本的には,視覚障害者の歩行の安全性を配慮した,各交通事業者の政策的判断にまかされているものというべきである。
b そして,上記のとおり,警告ブロックをL字型に線路反対側に屈曲させるという本件警告ブロックの設置方法は,視覚障害者をできるだけ縁端から遠ざけ,転落防止を図るという機能を有しているものであり,危険性に関する注意喚起の方法としては,十分意味のある設置方法であったといえる。
c さらに,上記のとおり,本件事故当時の被告以外の他の交通事業者等の駅ホームにおける警告ブロックの設置状況は,必ずしも明らかではないが,本件事故後約1年以上(東京都営交通や帝都高速度交通営団においては約4年以上)経過した後においても,ホーム縁端部に転落防止柵も警告ブロックも設置されていないホームが相当数存在したこと,かつ,本件ホームと類似構造の地下鉄駅ホーム(ホーム終端部が壁である地下鉄駅ホーム)において,警告ブロックをホーム終端部の手前でL字型に屈曲させて,列車が停止して旅客の乗降が行われる範囲内のホーム縁端部を囲い込み,ホーム終端部まで警告ブロックを接続させていないホームが相当数存在していたことなどからすると,本件事故当時,本件ホームの警告ブロックが上記のとおりL字型に屈曲してホーム北側の壁に接続され,ホーム東側終端部まで接続されていなかったことが,他の交通事業者等の設置管理するホームにおける設置状況と比較して,特異な設置方法であったとか,視覚障害者のホームからの転落防止設備として特に劣っていたものとは認められない。
d また,平成6年12月に,視覚障害者団体が大阪市交通局に対して転落防止柵の設置を要求したが,その具体的な要求内容は明らかでないし,縁端部警告ブロックの設置方法についても何らかの要求をしたかどうかは証拠上明らかでないし,それ以外に,本件事故発生まで,視覚障害者団体等が,被告に対して,警告ブロック,転落防止柵,立入禁止柵の設置に関して陳情,要望等を行った事実は認められない。
e 上記のとおり,本件事故までに,公刊物,論文,文献等によっても,ホーム終端部が壁であるか立入禁止柵が設置されているホームにおいて,ホーム終端部の手前で警告ブロックをL字型に屈曲させて,列車が停止して旅客の乗降が行われる範囲内のホーム縁端部を囲い込み,ホーム終端部まで警告ブロックを接続させていないことにつき,視覚障害者のホームからの転落防止の設備として不十分であることが明確に指摘されたり,視覚障害者の転落事故の原因として,ホーム縁端部ないし転落防止柵,立入禁止柵と縁端部警告ブロックが接続して設置されていないことが安全上問題視されたことを認めることはできず,これを認めるに足りる証拠もない。
f その他,ホーム縁端部と警告ブロックの形状については,上記L字型に屈曲させる設置方法のほかには,コの字型に囲む設置方法や縁端部まで延長させるI字型の設置方法があるが(弁論の全趣旨),本件事故当時,I字型の設置方法が視覚障害者の転落防止に最も有効であるとか,L字型の設置方法が視覚障害者の歩行の安全性の面から不完全で問題があるとの見解が確立していたことを認める証拠はなく,特定の設置方法が,警告ブロックの標準的な敷設方法として確立していたとか,全国の駅のホームに標準的なものとして普及していたということはできない。
g したがって,本件事故当時,本件警告ブロックの設置方法自体に特段の問題があったとはいえない。
(エ) 上記のとおり,本件警告ブロックの設置方法自体に特段の問題があったとはいえない以上,これを変更させる必要があるか,仮に変更させるとしても,どのように変更させるかについては,やはり,基本的には,交通事業者の政策的判断というべきである。
被告は,平成7年9月に従来の警告ブロックの設置方法を変更して,縁端警告ブロックをまっすぐホーム終端の壁又は柵まで延ばすことにした(I字型設置方法の採用)ことは上記認定のとおりである。
原告は,この点につき,警告ブロックの設置方法の変更は,従来の設置方法に安全上の問題があったことを被告が自認しており,本件事故の発生が予見可能であった旨主張する。
しかしながら,上記のとおり,本件事故前に,縁端警告ブロックをまっすぐ本件ホームの終端の壁又は柵に延ばすようにとの要請があったことを認めるに足りる証拠はなく,上記基準変更に至った縁由となった上記転落事故については,その事故態様や事故原因が正確に確定できないことは,後記のとおりであるから,被告が上記警告ブロックの設置方法を変更したことが,従来の設置方法に安全上の問題があったからであったとまではいえない(証人田宮も,上記転落事故を契機に転落が可能な箇所をできる限り少なくしょうとして警告ブロックをホーム終端部まで延長しようとした旨の証言をするが,それ以上に,従前の警告ブロックの設置方法自体が不十分なものであったから設置基準を変更したとは証言していない。)。
(オ) 原告は,新ガイドラインの内容との不適合を問題とする。
しかしながら,ガイドライン(新,旧を含めて)は,上記認定のとおり,もともと交通事業者等が公共交通ターミナルの施設整備を進めていく際の政策的な指針を定めたものであって,法令でないし,当然のことながら,法的な作為義務を定めたものではない(もっとも,各方面の専門家の知見の集積として,安全性確保に関する政策的水準を示すものであり,これが法的水準と同程度になり得る余地があることは否定できない。)から,その性格上,駅舎の形状,ホームの形状,長さ,ホーム上の柱や階段の位置,ホーム終端の乗降設備の有無,列車の長さ,編成車両数,乗降客等の諸事情を考慮した各交通事業者の自主的取扱いを否定するものではないと解される。
そうすると,被告を含む交通事業者としては,身体障害者への配慮に基づき,ガイドライン記載の技術標準に適合するよう施設を整備していくことが望まれているものとはいえても,これに適合したか否かが直ちに営造物の設置又は管理の瑕疵の判断に直結するものとはいえない。
もっとも,本件警告ブロックの設置方法と新ガイドラインとの関係について検討するに,本件ホームでは,ホーム縁端部と縁端警告ブロックの間隔が約72センチメートルであって新ガイドラインの技術的標準が望ましいとする80センチメートル以上に適合していないが,これは,ホームの構造上,ホーム幅や昇降階段の柱と縁端の距離との関係から,上記技術的標準どおりの間隔にすれば,縁端警告ブロックの階段側と階段柱の間が狭くなり,かえって視覚障害者が階段の柱に衝突する危険があるためであり(乙54,弁論の全趣旨),このような配慮が特に合理性を欠いているとはいえない。
また,新ガイドラインでは,ホーム終端部において,ホーム縁端警告ブロックをどのように敷設するかについての明確な指針がないのは,上記のとおりである。新ガイドラインの姿図やモデル図等には,ホーム終端部までホーム縁端警告ブロックを延ばしているかの表示やホームの内側を囲い込む形状で屈曲させる形状の表示もあるが(甲12),これは,あくまでも地上駅の島式ホームをモデルとして例示として描写されたものにすぎないから,その描写内容をもって新ガイドラインの内容であると解することは相当でない。
したがって,本件事故当時の被告の警告ブロックの設置方法が,新ガイドラインに適合していないとはいえない。
(カ) 本件事故から約5年経過後の平成12年11月15日に施行された交通バリアフリー法及びこれに基づく移動円滑化基準においても,転落防止柵の設置は要求されておらず,また,旅客が転落するおそれのない場合には立入禁止柵を設置することは要求していない上,立入禁止柵とホーム縁端部との間隔をどの程度にすべきか等についての具体的な定めはないのみならず,点字ブロックの詳細な設置方法も明確には定められていない。
したがって,本件警告ブロックの設置方法(さらには,本件転落防止柵の不設置や立入禁止柵の不設置)は,交通バリアフリー法及びこれに基づく移動円滑化基準の下でも,特に問題とされるものではないというべきである。
エ 立入禁止柵の不設置について
上記認定のとおり,本件ホーム東側終端部が壁となっており,更に壁から6センチメートルの立入禁止札が設置されていたから,ホーム東側終端部とホーム縁端部との空間(間隔)は約34ないし40センチメートルであったところ,被告がこの部分に立入禁止柵を設置しなかった理由は,このような箇所にまで通常乗降客が立ち入ることはないと考えたことにあり(弁論の全趣旨),それ自体が特段不合理な判断とはいえないし,しかも,普通鉄道構造規則では,車両の窓の側方となる箇所の建築限界と車両限界の基礎限界との間隔が20ないし40センチメートルと定められており,これが直ちに地下鉄に適用ないしは準用されるものではないが,建築限界を設けた趣旨からすれば,本件でも十分考慮されるべきである。
そうすると,本件事故当時,本件ホーム東側終端部の壁の南端とホーム縁端部との間に上記空間を設けており,したがって,立入禁止柵を設置していなかったことは,特に不合理なものであったとはいえない。
オ 本件事故前の転落事故について
(ア) 上記認定のとおり,大阪市営地下鉄においては,平成元年から本件事故発生まで,少なくとも25件の駅ホームからの転落事故が発生し,そのうち,本件事故と同様に,ホーム縁端部付近の転落防止柵が設置されておらず,かつ,警告ブロックも設置されていない箇所から視覚障害者が転落したという事故が4件発生していた上,大阪市交通局において,平成7年6月24日に発生した上記転落事故を契機として,局内で協議を行い,また,視覚障害者団体との間で協議等を行った結果,転落防止柵が設置されておらず,警告ブロックも設置されていないホーム終端部から転落する視覚障害者がいるため,従前の基準を変更して,警告ブロックをホーム終端部又は転落防止柵に接続することが同年9月ころまでに決定され,同年9月ころから同年中の工事完了を予定して,大阪市営地下鉄の各駅ホームにおいて順次変更工事を行っていたが,天王寺駅では,いまだ変更工事が施工されていないときに,本件ホームで本件事故が発生したものであり,こうした経緯からすれば,平成7年9月ころまでの被告の地下鉄ホームの安全性に関する認識が問題となる。
(イ) そこで,上記4件の転落事故について検討するに,転落原因は証拠上必ずしも確定できるものではない。すなわち,
a 平成4年7月3日に発生した転落事故は,盲導犬と一緒に転落した事故であり,主たる事故原因は盲導犬の誤導によるものである可能性が十分にある。
b 平成6年2月15日に発生した転落事故は,詳細な事故状況や事故当時の警告ブロックの設置状況等が明らかではないから,本件ホームと同様に,ホームの階段,エスカレーター,エレベーター等の旅客が利用する設備及び列車が停止して旅客の乗降が行われる範囲内のホーム縁端部分を囲い込む形で設置されていた警告ブロックを通り越して転落したものと認めることはできないし,転落者の申立て(甲15の2)からすれば,勘違いして足を踏み外した不注意の可能性が十分にある。
c 平成6年12月5日に発生した転落事故は,転落者が普段は白杖を使用して歩行していたのに,事故当日は白杖を使用していなかったという事故であり,主たる事故原因は白杖を使用していなかったため周囲の状況把握が不十分であったことによる可能性が十分にある。
d 平成7年6月24日に発生した転落事故は,ホーム縁端部付近を白杖を所持して歩行していた転落者が,ホーム終端部付近において警告ブロックがない箇所から転落し列車に接触して死亡したという事故である。その事故態様については,転落者が転落前にホーム縁端部付近を白杖を所持して歩行していたことからすると,白杖で縁端部警告ブロックを触知しながら歩行していたが,警告ブロックが直角にL字型に屈曲していた部分で警告ブロックを覚知できなくなり,そのまま進行し,足を踏み外して転落した可能性もあるが,他方,もともとホーム縁端部付近(ホーム縁端警告ブロックとホーム縁端との間)を歩行していたため,単なる不注意で足を踏み外して転落した可能性も十分にあり(目撃者は,転落者が余りにもホームの端を歩いていたので危険だなと思っていた旨申し立てている[甲15の2]。また,天王寺駅運輸助役は,事故報告書において,当局施設には瑕疵がなく転落者の事故転落が起因した事故と思われる旨の記載をしていた[甲15の2]。),転落者が死亡しているため,それ以上の詳細な事故態様を調査することはかなり困難であったものと思われる。
(ウ) しかも,平成7年6月24日に発生した転落事故の後に行われた大阪市交通局と大阪市視覚障害者福祉協会との協議の内容は証拠上明らかでなく,例えば,同協会からホームにおける警告ブロック等の設置方法に問題があるなどの陳情,意見等がなされたために協議を行ったのか,それとも,大阪市交通局が,警告ブロック等の設置方法には問題はないが,不注意により転落する視覚障害者がいるため,より一層の安全を確保するために自発的に協議を申し入れたのか,また,協議の過程において,本件設置方法の具体的な危険性等が指摘されたのかどうかなどの詳細が必ずしも明らかではない。
さらに,証人田宮,弁論の全趣旨によれば,平成7年9月からの安全設置基準の変更は,従前の転落防止柵や警告ブロックの設置方法では危険であるというよりは,転落が可能な空間をできる限りなくしていこうという観点からであったことが認められる。
(エ) 以上のように,上記4件の転落事故の詳細な事故態様が不明であって,事故原因が正確に確定できない以上,上記各転落事故が存在したことから,被告には,視覚障害者の線路への転落の危険性の認識はあったとはいえても,被告において,更に視覚障害者の安全確保に努めるため,安全設備の設置基準の変更を行ったと考えることもできるから,上記警告ブロックや転落防止柵を設置していないこと等の本件ホームの安全設備の設置の現状につき,視覚障害者の転落防止設備として法的に要求される安全性を欠いていたとの認識があったとすることはできない。
カ 天王寺駅の視覚障害者の事故発生の危険度について
上記認定のとおり,天王寺駅の周辺には,視覚障害者関連施設が7施設あることが認められるから,天王寺駅の視覚障害者の乗降客も相当にあったのではないかとの推測ができるが,他方,乙37の1・2,当裁判所に顕著な事実によれば,上記各施設は,いずれも天王寺駅のすぐ近くに所在するというわけでなく,最寄り駅でいえば,例えば,早川福祉会館の場合,地下鉄谷町線駒川中野駅,JR阪和線南田辺駅,鶴ケ丘駅,浪速障害者会館の場合,JR環状線芦原橋,南海高野線芦原町駅,西成障害者会館の場合,南海高野線津守駅,大阪市視覚障害者福祉協会の場合,地下鉄千日前線上本町駅,谷町9丁目駅,近鉄大阪線上本町駅,地下鉄谷町線谷町9丁目駅,大阪府盲人福祉センターの場合,地下鉄谷町線谷町9丁目駅,四天王寺夕陽ケ丘駅などが考えられ,御堂筋線天王寺駅を経由していないこと(もっとも,乗り替え等で御堂筋線天王寺駅を利用する場合があり得る。)が認められる。
しかも,大阪市営地下鉄における平成元年から本件事故発生までの視覚障害者の駅ホームからの転落事故の発生件数は上記のとおり少なくとも25件あり,決して少ない数とはいえないが,甲15の1・2によれば,天王寺駅についていえば,2件(内訳は,上記平成7年6月24日の谷町線天王寺駅の転落事故,平成2年7月5日の御堂筋線天王寺駅の転落事故であるが,後者は,飲酒のため乗車口と間違い連結部から軌道へ転落した事例である。)であることが認められる。
そうすると,天王寺駅のホームが視覚障害者の利用度の関係で視覚障害者の事故発生の危険度が高かったとまでは認め難い。
キ 人的配置について
本件事故当時,本件ホームには駅員が配置されていなかったことは上記のとおりであるが,天王寺駅が多数の乗客が乗降する駅であり,視覚障害者の利用者数も多い駅であるからといって,同駅の駅員の数等を考慮すると,本件ホームに常時駅員を配置する法的義務があったとはいえないから,この点に反する原告の主張は理由がない。
ク 本件当日の原告の歩行について
原告は,本件事故当日,梅田駅での乗車位置の確認をせず,そのため,天王寺駅での降車位置を勘違いしており,これが本件事故につながった理由の一つともいえるが,上記視覚障害者の歩行特性を考慮すれば,これをもって,本件事故惹起に関する原告の過失とまで評価するのは,酷というべきであって,相当ではない。
また,原告は,天王寺駅で降車後,東側に向かって歩行し,警告ブロックがL字型に屈曲して北側に延びているのに,これに気付かないままに歩行を続けたものであるところ,上記のとおり降車位置の勘違いを前提とした行動であり,警告ブロックの幅から見てこれを踏み越えやすい面があることも否定できず,その他視覚障害者の歩行特性を考慮すれば,これを取り分けて非難すべきものとまではいえないが,他方で,上記の警告ブロックの設置の趣旨,目的等からすれば,原告の行動が安全設備の設置者の期待に反する行動であったという点において,営造物の設置又は管理の瑕疵の有無の判断に際して,これを否定的な事情として考慮することはやむを得ないものというべきである。
ケ まとめ
以上のとおりであるから,本件事故当時,本件ホームの安全設備の設置方法等が通常有すべき安全性を欠いており,被告に本件ホーム(営造物)の設置又は管理に瑕疵があったということはできない。
(2) 国家賠償法1条1項の損害賠償責任について
(1)で認定したところによれば,本件事故当時,被告の担当職員に本件ホームの設置又は管理に過失があったということはできない。
(3) 旅客運送契約上の安全配慮義務について
(1)で認定したところによれば,本件事故当時,本件ホームには国家賠償法2条1項にいう設置又は管理の瑕疵があったとはいえず,本件事故当時,本件ホームに大阪市営地下鉄の駅員その他の職員が配置されていなかったからといって,被告の法的義務違反とはいえないから被告が運送に関して注意を怠らなかったものというべきであり,被告が原告に対して旅客運送契約上の安全配慮義務の履行を怠ったものと認めることはできない。
第4 結論
よって,その余の争点について判断するまでもなく原告の請求は理由がないからこれを棄却することとし,主文のとおり判決する。
大阪地方裁判所第17民事部
裁判長裁判官 中本敏嗣
裁判官 関根澄子
裁判官 池田知史
これは正本である。
平成13年10月15日
大阪地方裁判所 第17民事部
裁判所書記官 松本隆英